2013年12月20日金曜日

ストロベリーナイト ~Strawberry Night~




ストロベリーナイト ~Strawberry Night~
誉田 哲也
















こんにちは。
今回、ストロベリーナイトを読みました。
最初の一行から、何か引き込まれました。

時々残虐な表現があり、血の気が引くような気持ちにそういう表現が使われるたびになりました。

しかし一方で、
ドラマは井岡や勝俣など、登場人物から時折漏れるユーモアにクスッとする部分もありました。見ていませんが、本の帯に載っていた竹内結子や西島秀俊、大沢たかおの様子が伝わってきました。
誰がどの役を演じていたかはWikipediaを見て知りました。

玲子に警官が敬礼する場面にとても感動しました。

そして、だいぶ飛びますが、最後に勝俣主任が姫川に放った一言、

「いいか、人間なんてのはな、真っ直ぐ前だけ向いて生きてきゃいいんだよ」
このセリフにはグッときたと同時に、そう生きていくのがとても難しい、と感じてしまいました。
勝俣主任は、安藤ロイドに登場する遠藤憲一がイメージされました。

エフのような人間がこの世の中にいたら、とても恐ろしいし、ストロベリーナイトをエンターテイメントとして見に行く観客たちも普通じゃないと感じました。

続作のソウルケイジとシンメトリーも読んでみたいです!

ミレニアムに続き、ミステリー要素を含む小説にハマってしまったのかと自問自答です。

2013年12月19日木曜日

歯車

歯車
芥川龍之介


こんにちは。
今回は芥川龍之介の歯車を読みました。
そこで、疑問に思ったことや感じたことを書こうと思います。

文章の文法ですが、主語に「の」が多用されていたように感じました。

芥川が感じていた地獄とは、どのようなものだったのか、少し考えてみました。

最後に奥さんが放つ台詞から推測すると、芥川の妻は芥川が自殺するのではないかと感じていたことが伺えます。

また、歯車からは全体的に芥川が自意識過剰なまでに一目を気にし、避けるような描写が多々登場します。
人の行きかう大通りを避け、細い裏通りなどを好んで通行しています。

歯車は小説ですが、そもそもこの物語が自分自身を書いていると考えて良いのか気になりました。

もし自分自身を書いているとすると、歯車の幻想が見えたり、鼠や鳥が見えたり、睡眠が地獄から逃れられる唯一の手立てであるというような文章からは、精神を病んでいると感じました。

ここまで彼を追い詰めていたのは何だったのでしょうか。
奥さんも居り、子供もいて、それなのに、誰かに首を絞めて欲しいと願う彼が置かれていた状況を想像すると、気になってしまいます。

今では、本屋さんに行くと芥川龍之介の本を買うことができ、彼は有名ですが、当時彼が生きていた時代に芥川龍之介の名声はどれくらいのものだったのでしょうか。

時々物語の中で描写される、芥川龍之介を見て小声で噂話をする視線を彼自身が受けているところや、夏目漱石を先生と呼んでいるところから推測すると、多少有名だったように思えます。

歯車からは、世の中の事象が億劫で、小説を書いたり、ドストエフスキーなどの本を読んで憂鬱を紛らわし活力を得ようとしている彼の様子を感じました。

歯車を読んだ人は、この物語と芥川龍之介にたいして、どんな感想を持ったのかも、気になります。

2013年11月26日火曜日

ミレニアム3 眠れる女の子と狂卓の騎士 下

こんにちは。
今回、ミレニアムシリーズを全て読み終わりましたので、記録します。





リスベットの有する瞬間記憶能力が欲しいです。
ミレニアム、三部作それぞれに上下巻ある長編小説でしたが、退屈させるようなところがなく、そんなに長い小説だとも感じませんでした。

ひとまずリスベットの抱える問題が収束し、一件落着といったところでしょうか。
それでもミレニアムの主人公たちの活躍をもう感じられないと思うと、とても寂しく思います。
そう思わせるほど、ミレニアムの登場人物たちは魅力があり個性豊かであると思います。

末巻の感想に第四部で作者のスティーグ・ラーソンが何を書こうとしていたかの推測がかいてありました。
度々話に出てくるリスベットの妹カミラを題材にするのではないか、という話です。
もしその推測通りなら、軸となる内容は女性の人身売買でしょうか。

この小説は物語に社会問題を突きつける力があると思いました。
それほど北欧では女性の権利が不徳なまでに傷つけられているのでしょうか。
あまり詳しくないのですが近年は男女平等が叫ばれていて、だいぶ差別がなくなってきているのではないのでしょうか?

第4部はきっとお蔵入りになるような気がしてなりません。
一気に読めたシリーズでした。
ミレニアムシリーズに携わった方々に感謝します。

2013年11月17日日曜日

ミレニアム3 眠れる女の子と狂卓の騎士 上

ミレニアム3  眠れる女の子と狂卓の騎士  上
スティーグ・ラーソン
ヘレンハルメ美穂  岩澤雅利訳





こんにちは。今回はミレニアムの最終部、第3部の上巻を読んだので記録したいと思います。

あっという間に三部まで来ました。残るのは下巻のみとなったことを考えると、少し寂しい感じもしてきます。

第二部で凄まじい戦いを繰り広げたリスベットですが、第三部上巻の大部分は休戦状態です。

対して、"名探偵カッレ君"ことミカエル・ブルムクヴィストは事件の全体を暴くべく、本領を発揮していきます。

あまり関係の無いことですが、ミレニアムシリーズの著者であるスティーグ・ラーソンと、元アメリカ諜報機関職員のエドワード・スノーデンは顔が似てるな、と思いました。

第三部はシリーズの中でも全体的に情報操作合戦といった印象を受けました。
リスベットの人権を守るために身を奮う人々が勇ましく、時に温かく感じられます。
ヨナソン医師がいなかったら、早い段階でリスベットはテレボリアン精神科医の病院にぶち込まれていたでしょう。

下巻でこの大きな戦いに決着が着いてしまうのか。
気になるのはリスベット然り、エリカ・ベルジェの新境地があまり居心地の良いものではないことも気がかりです。

下巻を読み終えたら、また映画版ドラゴン・タトゥーの女を見てみようと思います。
第二部と第三部も映画化して欲しいです。そして、ラーソンのラップトップに保存されているという第四部を読むことができる日は来るのでしょうか。

ミレニアムのために親族間で争いが生じていることは、なんだか残念な気がしました。

とにかく明日、朝いちばんに本屋さんに行ってきます。

2013年11月16日土曜日

ラプンツェル

ラプンツェル
グリム





 こんにちは。
ふグリム童話のラプンツェルを読みました。

ラプンツェルは登場人物である少女の名前です。
髪の毛で人間を塔の上まで引き上げるとは、奇妙な光景だと思いました。

魔女は本当にどうなってしまったのでしょうか。

ダークな世界観を感じ、ドラゴンクエストの題材にできそうな童話でした。

グリム童話に関連して、『本当は恐ろしいグリム童話』という著書があります。

ラプンツェルも、恐ろしい解釈をすることができるようです。

グリム童話を歴史的な資料をもとに研究してみるのも面白いかもしれません。

2013年11月13日水曜日

山賊ダイヤリー リアル猟師奮闘記 2

山賊ダイヤリー リアル猟師奮闘記 2
岡本健太郎
講談社



こんにちは。今回は初めて、漫画について記録します。
漫画はあまり読まないのですが、彼女がゲオから借りてきた漫画をパラパラめくって見たら思いのほかい面白くて読み入ってしまいました。

読んでみると内容がとてもリアルで狩猟に興味が湧いてきます。

そしてとても勉強になる漫画だと思いました。

2巻からしか読んでないので、今度1巻借りようかと思います。

2013年11月12日火曜日

ミレニアム2 火と戯れる女 下

ミレニアム2  火と戯れる女  下
スティーグ・ラーソン
ヘレンハルメ美穂  山田美明訳

 

こんにちは。今回はスティーグ・ラーソンのミレニアムシリーズから、第二部の下巻を読んだので、感想などを記録します。

この下巻の表紙を読見て、第一部のドラゴンタトゥーの女とは訳者の1人が変わっていることに気づきました。
第一部は岩沢雅利さんだったのが、この第二部では山田美明さんになっていました。
こんな大作の訳を担うことができるのは凄いことだと思いました。

第二部の下巻は、これまで読んできたミレニアムシリーズの中で一番スラスラ読むことができました。
上巻を読んでも感じたのですが、第二部はリスベットを中心に話が進んでいくな、と思いました。
一部で主人公だったミカエル・ブルムクヴィストはリスベットに良いように使われていました。
デイビッド・フィンチャー監督の映画版ドラゴンタトゥーの女でミカエル役をしていたダニエル・クレイグは007のジェイムズ・ボンドのイメージがあるので、僕としては少し物足りなかったです。
しかしそこのあたりがスティーグ・ラーソンの意図しているところなのでしょうか。

ミレニアムシリーズは、実際にスウェーデンで起きた事件が話に登場し、第二部の下巻では実在のボクサー、パオロ・ロベルトが登場し、リアルな世界観を味わうことができました。
ミレニアムシリーズで今までのところ僕がSFチックに感じるのは、ミカエルのモテ具合を 別として、リスベット・サランデルの人間離れした頭の良さと、金髪の巨人の痛みを感じない特殊能力くらいです。

デヴィッド・フィンチャー監督にミレニアム2を原作とした映画版も作成してほしいと思いました。

第二部と第三部は第一部と第二部に比べて結びつきが強いようなので、続きを早く読みたいです。

ミレニアムシリーズ、僕にとってかなり中毒性の強い小説です。

2013年11月8日金曜日

ミレニアム2 火と戯れる女 上

ミレニアム2  火と戯れる女  上
スティーグ・ラーソン
ヘレンハルメ美穂  山田美明 訳





こんにちは。
今回は、前々から読書中であるスティーグ・ラーソンのミレニアムシリーズを記録します。

シリーズ1のドラゴンタトゥーの女、は映画版を観たことがありサラッと読む事ができましたが、今回の火と戯れる女はどうだろうと少し不安な思いで読んでみました。

裏表紙を見てみると、なにやらリスベットが危険にさらされるような旨書いてあります。

僕は最近、立て続けに2冊ほど数学に関する本を読んだのですが、火と戯れる女の冒頭でも数学に関することが書いてあります。
リスベットがフェルマーの大定理(最終定理)に取り組んでいました。
実際フェルマーが書き残したメモも、ラテン語っぽい言語で書いてありました。

Cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi hanc marginis exiguitas non capered. 
この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。
とても意味深なメモです。本当にフェルマーが証明を見つけていたと仮定して、もし証明を記録したメモをフェルマーが残していたら数論の世界は変わっていたかもしれません。

そして、リスベットにたいするビュルマン弁護士の燃え盛る復讐の焰が不気味で気持ち悪く書かれています。

ミカエルがなぜ魅力的なのかを語るエリカの説明が書いてあり、少し教訓になりました。
自身に満ち溢れ、安心感を女性に抱かせる。

経済的に豊かになったリスベットは、少し積極的というか、社会に適応?し始めたような気がしました。
そしてその様子がわかりやすく書かれていると思いました。

ミカエルにたいするリスベットの恋心?はなんだか切なかったです。

リスベットとマッゲ・ルンディンの追いかけっこは映画にするとスリル満点に表現できそうだと思いました。

後半からは謎を追ってストーリーが展開されていきますが、予想ができません。

この時点では、リスベットが犯人でない、ということは断言できないようにも思います。
明らかに金髪の巨人が絡んでいる事は間違いなさそうですが、最も気になるのはザラ、という名前の人物です。

下巻では、これらの謎が明らかになっていくことでしょう。

本屋さんへ行ってきます。

2013年10月29日火曜日

リング

リング  the Ring
鈴木光司
角川ホラー文庫




こんにちは。
今回は、当時一種の社会現象にもなったリングを読んだので、記録します。

スラスラ読めました。
貴志祐介の黒い家と比較してみると不気味さでは黒い家の方が不気味だと思いました。

ミステリー性が強いからでしょうか。

睾丸性女性化症候群というのは現実にあるのでしょうか。

竜司という登場人物のインパクトが強くて、とても頼もしい相棒だっただけに最後死んでしまったのが残念でした。

映画版のリングがどんな感じか忘れてしまいましたが、映画版よりは恐怖心を喚起されませんでした。始めて観たのが子供の頃だったからでしょうか。

浅川と竜司が、ビデオが念写によって記録され、一瞬映る黒い幕が貞子の瞬きであることを突き止めたシーンが最も不気味でした。

梶井基次郎に触れたり、サナトリウムや結核にも言及が及びました。

自作の、らせん、も読んでみたいです。

2013年10月24日木曜日

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 下

ミレニアム  ドラゴン・タトゥーの女  下
スティーグ・ラーソン
ヘレンハルメ美穂  岩澤雅利訳
早川書房





 一気に読んでしまいました。

少しずつミカエルがハリエット失踪事件の謎を解明していくのがスリリングでした。

第17章でようやくミカエルはリスベットの存在を知ります。
この時はまだ、自分がリスベットの手によって身元調査をされていたことを知るにとどまります。
このあとどのように対面するのか気になりつつ読み進めました。

348ページで、ミカエルがリスベットに友情について語る場面に感動しました。

ミカエルいわく、友情は敬意と信頼に基ずいていて、双方がこの感情を持っていないと友情は築けないと言います。
最終的にリスベットはミカエルに恋をするのですが...。

リスベットが銀行を回る時の変装シーンが、映画を先に見ていたので明瞭にイメージできました。
ギャップがいい感じでした。

第2部と第3部は、どんなストーリーか全く知らないのでスラスラ読めるか不安ですが、楽しみでもあります。

本屋さんに行かなくては。

2013年10月22日火曜日

深夜特急2  マレー半島・シンガポール

深夜特急2  マレー半島・シンガポール
沢木耕太郎
新潮文庫



バンコクでは、香港の時に感じた熱狂を感じることはできていません。

マラッカ海峡に沈む夕陽は大きくて美しいらしいです。

第6章  海の向こうに
この章の2節目に、沢木耕太郎がなぜ旅に出たのか、思うところを書いています。

一巻同様、サラッと読み終えました。
この巻では、香港で得た熱気をバンコクやシンガポールでも無意識のうちに探し求める沢木耕太郎の姿が描かれています。
しかし、タイやシンガポールでは、彼の望むような活気はなく、少し物足りない雰囲気が彼の中に漂っています。

ただただ、僕が思うのは、僕もアラウンド・ザ・ワールドしてみたいということです。

末巻に掲載されている、沢木耕太郎と高倉健の対談も読み応えがありましたが、なんだか二人ともカッコつけてるようで、ツンツンしている印象を受けました。

近いうち、3巻を買って読みたいです。

2013年10月19日土曜日

素数の音楽


素数の音楽
マーカス・デュ・ソートイ
富永 星  訳
新潮文庫



こんにちは。今回やっと、『素数の音楽』という本を読み終えたので、少し書いておこうと思います。
読み終えての感想は、「数学にはロマンがある」ということを感じる事ができました。


リーマンとフェルマーなど、様々な数学者が登場します。
そして様々な名言も登場します。
2章で、フィボナッチ数列や、13年蝉や17年蝉が登場します。
13年蝉と17年蝉が同時に現れるのは、何年に一度でしょうか。
答えは、17x13=221
221年に1度です。
よくできていますね。
公務員試験を幾つか受験したことがありますが、13年蝉と17年蝉を題材にした問題あったと思います。

4章に入ってからは、今までなんとなく理解できていた内容でしたが、4章の内容は難しくて理解できませんでした。
もっと数学の知識が必要かもしれません。
リーマン予想、ゼータ関数、オイラーの素数を使ったオイラー積など、説明があったのですが、これらがどう関係しているのか、さっぱりでした。
ゼータ関数の風景も、風景にすることでどんな意味があるのか、その興奮は僕には伝わりません。

しかし、なんとなくわかったことは、ゼータ関数は素数を別の姿として眺めることができる鏡ということでしょうか。

リーマンが目にしていたのは、数の世界とリーマンのゼータ関数が作る世界とを隔てる鏡に映った素数の像だった。
とあるように、ランダムに登場する素数ですが、ゼータ関数をなんらかの形で素数を見る道具とすれば、その中にもパターンがある、という風に僕は理解しました。


用語メモ:ガウスの素数定理
自然数の中に素数がどれくらいの割合で含まれているかを述べる定理。

リーマンの名前は聞いたことなかったのですが、素数の音楽を読んでその凄さがなんとなくわかってきました。

数学において、素数の解明がとてもロマン溢れることもわかってきました。
素数の音楽では、そのロマンを追い求める数学者たちの軌跡が描かれていました。
難しくて理解できない部分もありましたが、不思議に読み進めることができました。
それは、この本が、数学の参考書という形ではなく、小説風に書いてあるからだと思います。
幾人もの数学者たちの努力を垣間見ることができた気がしますし、数論に興味を持つことができました。

リーマン、39歳の若さで亡くなっているんですね。
ほんとに、天才には早逝する人が多い気がします。

リーマンの家政婦さんが、リーマンの残したメモを捨ててしまったみたいです。
そのメモが残っていたら、どうなっていたでしょうか。

用語メモ:フェルマーの最終定理


nが2より大きい自然数であれば
n+Yn=Zn
を満たす、自然数X、Y、Zは存在しない。


素数はその本性を数の宇宙の奥底深く隠していて、人間の計算能力をはるか超えたところまで探りを入れなければ、その本性を目にすることはできない。

果たして、次に現れる素数を予想することができる公式を目にすることは人類にできるのでしょうか。


第6章で登場するインド人ラマヌジャン。
彼は初等教育を受けずして、数学界で名を馳せることになります。
彼が行った数を分割する方法。
5を分割する方法はいくつあるのか。
その方法は7つあります。

5
1+4,2+3
1+1+3,1+2+2
1+1+1+2
1+1+1+1+1

このように分割することを分割数と言います。
ラマヌジャンも32歳という若さで亡くなっています。


ベルトランの仮説

ある数Nについて、2Nまで数え上げれば素数が現れる。


サミュエル・I・クリーガーという人は、大きな素数を見つけるのに人生を費やした人物です。
現在発見されている1番大きな素数
231584178474632390847141970017375815706539969331281128078915826259279871
を見つけたのですが、47で割れることが判明しました。
素数に取り憑かれる人は多いようです。

方程式に解があるかどうかを判断するプログラムはいまのところ存在しないようです。

第9章では、コンピュータ時代の到来、という章立てでザギエの補助グラフが紹介さてていましたが、なぜグラフが水平軸と交わることでリーマン予想が成り立たなくなるのかわかりませんでした。


用語メモ:
メルセンヌ数(メルセンヌすう、:Mersenne number)とは、2のべきよりも 1 小さい自然数、すなわち 2n − 1(n は自然数)の形の自然数のことである。

第10章では数学と物理学の融和が起こります。そこで、リーマンがどれほど時代の先を行っていたのかを目の当たりにします。


第12章

byコンヌ
ほんとうに何かを見つけたいと思うのなら、ひとりでなくてはならない。

小川洋子さんの感想

byセルバーグ
最後には、解決できると思う。証明不可能な問題だとも思わない。だが、証明が人間の脳ではついていけないくらい複雑である可能性はある。

この本のおかげで数論という科目に、今までとは異なるイメージを持つ事ができました。 

2013年10月14日月曜日

遺書

こんにちは。

芥川龍之介の遺書を読みました。

子供たちへ宛てた内容に、

四若しこの人生の戦ひに破れし時には汝等の父の如く自殺せよ。但し汝等の父の如く 他に不幸を及ぼすを避けよ。

とあり、自分の子供に、父のように自殺せよ、と言い切れる芥川龍之介の精神に唖然としてしまいました。

でも、意外だったのは、遺書自体からはそれほど嘆きに打ちひしがれているような印象は伝わってきませんでした。

芥川文子宛てには、私情的な事ではなく、芥川絶命後に行うべき手続きが書いてあり、妻をおいて世を去ることにたいする後ろめたさは感じていなかったのだろうかと思いました。

この世で生きることが辛いために世を去る、というよりは、何か目的を果たすべく世を去る、というような意思を感じました。

2013年10月11日金曜日

死後

死語
芥川龍之介
青空文庫


主人公が、夢の中で身近な人物とやりとりし、考えを巡らせ、夢から覚めた後にアダリン錠という睡眠薬を飲んで眠りにつく話。

死語というタイトルは主人公が夢の中では死人であることから来ているのではないでしょうか。

妻にたいして憤慨するシーンと、どこまでも続く枳殻垣の道を歩く様子が、なぜか切なく感じました。

最後に睡眠薬として登場するアダリン錠には、もしかしたら睡眠薬以外の何か別の意味があるのではないかと疑いたくなりました。


将来にたいするぼんやりとした不安。そんな雰囲気を「河童」よりも感じました。

河童/合理的、同時に多量の人間味


河童
芥川龍之介
青空文庫

これまで読んだ(と言っても少しですが)芥川作品で始めての、ですます文体でした。

Quax, quax

とは、河童の鳴き声なのでしょうか。
どことなく、フランス語のように読めなくもない気がします。

Quax, Bag, quo quel, quan?

やっぱりフランス語?

この物語は章立てが短くて、隙間時間に少しづつ読むことができました。

Quaは河童語で然りという意味だそうです。

哲学的なセリフが多数出てきましたが中でも

"成すことは成し得ることであり、成し得ることは成すことである。"

という言葉は印象深く思います。
つまりどういうことなのでしょうか。

所々カッコ書きで説明が付されているところに芥川の親切心を感じました。

トック遺書に書いてある言葉、
「いざ、立ちてゆかん。娑婆界を隔つる谷へ。 岩むらはこごしく、やま水は清く、 薬草の花はにおえる谷へ。」

には、何らかの決意を感じます。この世を去ることにたいする恐怖心はあまり感じられませんでした。

トルストイとニーチェの本は、いつか読んでみたいと思います。

主人公=トック君ということなのでしょうか。
芥川龍之介はこの物語を書いた後に自殺をしているらしいのですが、主人公を通して芥川龍之介の社会に対する考えを読み取ることはあまりできませんでした。

後半、河童の世界に戻りたいのではなく「帰りたい」と書いていることなど、何か人間世界が嫌なのかな、と思いました。

再読してみたいと思います。


合理的、同時に多量の人間味
──相互印象・菊池氏──
芥川龍之介
青空文庫

菊池と自分の境涯を比べている自白的な語りが綴られていました。

2013年10月6日日曜日

眼にて云ふ/おきなぐさ

眼にて云ふ
宮沢賢治

眼にて云ふ、の語りては、死の淵にいる様子です。

それでも、医者の見ている景色よりも、綺麗な景色が見えるのはなぜなのでしょう。

仮説1:もう自分は助からないと悟った。
仮説2:自分は助かると安心した。


もう死んでも文句は言えない、と言っているところから、既に生きるのを諦めているような感じがします。

一体この語り手に何があったのか、なぜ出血しているのか、その前後は書かれていないので、そこは読み手の想像に任せるということでしょうか。

詩は、そういうところに特徴があるのかな、と思いました。


余談:宮沢賢治も37歳でこの世を去っているんですね。
昔の文豪たちは、どうも世を去るのが早い気がします。



おきなぐさ
宮沢賢治
青空文庫

植物が点に向かって飛んで行き、変光星になる、という話。
自然界のものが擬人化されています。


奇麗なすきとおった風がやって参りました。まず向こうのポプラをひるがえし、青の燕麦に波をたてそれから丘にのぼって来ました。



風が向かってくる様子が目に浮かび、有る意味、おきなぐさの命を奪う刃のようにも思えます。

ミレニアム1 ドラゴンタトゥーの女 上

ミレニアム1 ドラゴンタトゥーの女 上
スティーグ・ラグーソン
ヘレンハルメ美浦  岩澤雅利  訳

ミカエルには女性的、リスベットには男性的な性格を持たせたらしいです。(Wikipediaより)

ミカエルは女性にモテすぎて、羨ましかったです。

リスベットが弁護士に仕返しする様子は映画に生々しく描かれています。

映画のリスベット役をしているルーニー・マーラの白い肌が、スウェーデンの雪舞う雰囲気にとてもマッチしていました。

本の感想ですが、僕は映画の方を先に見たので、映像がフラッシュバックしてきました。

一巻目の上で、まだミカエルとリスベットが正式に対面していないのが、映画と小説の違いというか、流れる時間の違いを感じました。

Apple製品が時々登場し、日本メーカーの東芝のノートパソコンも、一瞬登場します。

一気に読めて、続きをはやく購入したいです。

2013年10月3日木曜日

蜘蛛の糸/孤独地獄

蜘蛛の糸
芥川龍之介
新潮文庫


登場人物:
犍陀多と御釈迦様

まとめ
自分だけ助かろうとして、糸が切れて地獄へ落ちるという話。

感想:もし犍陀多が後から上ってきた罪人たちも一緒に行こう、という気持ちで登っていたら、蜘蛛の糸は切れなかったのだろうか。


孤独地獄
芥川龍之介
青空文庫


まとめ
大叔父が母にした話を聞いて、芥川が思ったことを、おそらく書いたもの。
地獄には3つの地獄があり、そのうちの孤独地獄、のお話。

読み進めていると、結末が予想できる物語でした。芥川龍之介も、孤独だったのでしょうか。

或意味で自分も亦、孤独地獄に苦しめられてゐる一人だからである。

この締めくくりに、ぐっときました。


感想:孤独地獄は彼の晩期の作品なのでしょうか。晩期には自白的な作品が目立つとWikipediaに書いてありました。
彼も35才で亡くなったことは知りませんでした。
しかも自殺ということには多少驚きました。
初期の作品から読んでいこうと思います。
次は「羅生門」あたりを読み直してみたいと思います。

2013年10月1日火曜日

何もかも憂鬱な夜に

何もかも憂鬱な夜に
中村文則
集英社文庫

冒頭
一羽の赤い鳥を買っていた。
で始まります。

全体的に暗い雰囲気の内容です。
死、という単語が多く出てきます。
この物語のテーマと関係があるのかもしれません。



死刑執行の描写がある場面は、映画のダンサーインザダークの最後の場面を思い出しました。

主人公は刑務官をしているのですが、刑務官の仕事は僕じゃ務まらないと思いました。
著者の中村文則さんは、自分が刑務官になったわけでもないのに、なぜ独房や収容所の様子をこれほどリアルに書けるのか、興味を持ちました。

この物語登場する人物のような生い立ちや、経験をしたことがある人、そして現在携わっている人がいるとして、僕は彼らにたいしてどんな風に思えばいいのかわからない、と思いました。

僕は、どちらかというと普通の、普通よりは少し変わった?家庭に生まれました。
孤児だったり、犯罪に手を染めたりしたことはないし、学校も、行きたくないと思った事はありましたが、毎日普通に通っていました。
何もかも憂鬱な夜に、の登場人物のような経験に、有る意味、こんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど、そんな経験をしてみたいと少しでも思ってしまいました。

所々に性的描写がありましたが、不快なものではありませんでした。
この物語に登場する恵子という女性、または時々登場する女性の存在が、なんだか物語が醸し出す息の詰まりそうな雰囲気に、鮮やかな安心できる色を添えていると思いました。
176ページあたりの、山井に向けた言葉は、おそらく主人公自分自身に向かって言っているように思いました。

末巻の、又吉直樹さんのように、僕にとっても、この作品は特別なものになりました。

一気に読めた作品です。



2013年9月29日日曜日

モルグ街の殺人


こんにちは。
今回は、エドガー・ア・ランポーの、モルグ街の殺人を読んだので、記録します。

登場人物のデュパン曰く、ホイストというトランプゲームに達者な人は、他の面でも観察力を活かすことができるようです。
ホイストというトランプゲームが何なのか、僕には分からなかったので、調べてみると、ウェブ上でホイストを遊べるサイトがありました。

ホイストが遊べるサイト:

この物語上を読んでいると、犯人はどんな「人物」なのか、想像してしまいます。
しかし、それを想像すること自体、焦点がずれている、と途中で気づかされるのです。

犯人は誰なのか、を考えさせる内容で、結末わかると、なんだ、そんなことか、と思いました。

犯人が人間ではないと明かされ、猩々(しょうじょう)という動物?が登場するのですが、英語ではなんと訳すのでしょうか。
中国の伝説上の生き物ということですが、物語を読んでいるとゴリラを想像しました。

デュパンに解けて、警察を総動員しても解くことができない事件。
警察とデュパンは一体何が違うのでしょうか。

"この一見『不可能』らしく見えることが実際はそうではないということを証明することが、僕たちに残されているだけなんだ。"


警察が調査に苦戦して、デュパンが推理することができたことを表す言葉の一つだと思います。

ありえない、と思うことに嫌疑をかけて調べてみるところにデュパンと警察の違いを僕はみます。

デュパン、頭脳明晰です。 

2013年9月26日木曜日

闇の書

こんにちは。

梶井基次郎の闇の書、を読みました。

これで梶井基次郎の作品を読むのは、檸檬、蒼穹、に続き3作目になります。

いつ頃の作品なのかと思い、Googleさんで"闇の書"とキーワード検索してみました。

すると、検索トップページには梶井基次郎関連のページは載っておらず、アニメ関連のページ検索結果が出てきました。

そこで、"梶井基次郎"もキーワードに加えました。

僕はてっきりWikipediaが出てくるのかと思ったのですが、もっと詳しい文を見つけることができました。


この記事によると、梶井基次郎は、マルクスの「資本論」を読んでいたそうです。

図書館で見たことがあるのですが、分厚いなあ、と思いました。
高校の時の世界史の先生が、読破できなかった唯一の本、と言っていたのを思い出しました。

ところで闇の書の冒頭ですが、

私は村の街道を若い母と歩いていた。

とあり、その後も家族のことが書いてあるのですが、あまりよく理解できませんでした。
若い母と歩く、というのもよくわかりませんでした。

タイトルが闇の書たる由縁も、見つけることができませんでした。
ただ、闇に通じるものは、途中出てくる路なのかと思います。

なんだかブラックホールみたいだな、とも思いました。

エッセイ的?な物語、でした。

2013年9月24日火曜日

蒼穹

蒼穹
梶井基次郎


こんにちは。
今日も青空文庫から、梶井基次郎の蒼穹という作品をよみました。
この作品も檸檬と同様、ページ数が少なくて短時間で読むことができたので、繰り返して読みました。

最初のページでLotus-eaterという単語が出てきたので調べてみました。

1.  ギリシャ神話で、ロータスの実を食べて安逸に暮らした人
2.  世事に無関心な夢想家

梶井基次郎は、彼の作品を読んでみると(まだ2作しか読んではないのですが)もしかすると、世事とは離れたところで安逸な生活がしたかったのではないかと思われてきます。実際にそのように生活していたのかもしれません。


この物語の季節は晩春。そんな午後に、主人公は空を眺めています。
紫色の空であり、その風景がやはり、僕の目にうっすらと浮かんできます。

紫色の空をイメージして、僕は綺麗な空が浮かんだのですが、というかたいていの場合、僕は空を見上げると、その壮大さにスカッとすることが多いのですが、蒼穹の主人公は違いました。

蒼穹、主人公も、梶井基次郎本人なのではないかと考えさせられますが、彼の目には、姿を変えゆく空が闇として映し出されています。

まだ日に沈まない空を闇に例えるような心情が、やはり気になりました。

2013年9月22日日曜日

檸檬

檸檬
作者:梶井基次郎


こんにちは。今日もまた、青空文庫から、梶井基次郎の檸檬を読みました。

ページ数は少なく、サラッと読み終えました。

梶井基次郎ついて、また、この作品である檸檬については、Wikipediaに詳しく書いてありました。

Wikipedia URL:http://ja.m.wikipedia.org/wiki/檸檬_(小説)

作者の梶井基次郎さんは、結核で若くして(31才)亡くなられた方で、先日読んだ風立ちぬに然り、昔は結核が重大な病気だったことがわかりました。

中学時代を、僕が今住んでいる三重県で過ごした事も知り、なんだか少し親近感が湧きました。

風立ちぬ、を読むまでサナトリウムという結核患者が入院する施設があることも知りませんでした。

Wikipediaによると、1925年の同人誌「青空」に載ったのがはじめて人目に触れたと思うので、僕の計算が正しければ彼はそのときまだ26才です。

同人誌に掲載されたのがその年齢だとすると、おそらく書き上げたのはもっと若い頃だということになります。

僕とあまり年齢の変わらない青年が、こんな文章を書く事ができることに感銘をうけました。

いっぺん読んだだけでは、ちょっと物足りないというか、ページ数も少ないことだし、冒頭から読み返してみました。

最近、東進ハイスクールの林先生(いまでしょ、の先生です)が、「本を選ぶときは、その冒頭で決めるといい」というような事を言っていたのですが、この物語の冒頭に僕は「おやおや、」と思いました。

檸檬の冒頭は、この一文から始まります。


えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。


梶井基次郎は、 自分の身辺のことを題材にするそうですが、なんだか、何かに悩んでいるのか、なにかをしょっているのか、主人公は梶井本人ではないにしても、作者の心境を思いやりました。

えたいの知れない不吉な塊、というなんとも黒々とした、丸い物体を僕は思い浮かべました。しかも始終、押さえつけられていたら、たまらないな、と思いました。

そんな感じの心象描写があり、物語に登場する檸檬が、ひときわ爽やかなイメージをくれました。

京都の道を歩く主人公が見ている風景を、僕の目を通しても見ることができたように思います。

梶井基次郎という作家を僕は知りませんでしたが、作品が多く残されているようなので、少しずつ読んでいこうと思います。

もしかしたら、好きな作家の一人になるような気がします。

2013年9月20日金曜日

風立ちぬ

風立ちぬ、いざ生きめやも

こんにちは。

今日は、青空文庫から堀辰雄の風立ちぬを読みました。

この作品は宮崎駿監督の最新作、風立ちぬ、の原作です。

生きること、幸せとは何かを考えさせてくれる物語でした。

愛する者との限りある時間を意識すれば、どんな些細なことをも共有し合えるんだと思いました。

この物語の主人公は、堀辰雄本人の実体験を元にした物語だそうですが、堀辰雄はこんなに人を愛し、感性豊かな主人公を表現していて、感情移入できる作品でした。

僕は最近、これほどまでに胸が締め付けられる感情を抱くことがないと思い、この感情移入に、少し心がほっこりしました。

宮崎駿の風立ちぬ、に通じる情景が浮かび、堀越二郎の場合は飛行機作りであり、堀辰雄の場合は、小説なんだな、と勝手に納得しました。

節子(主人公の恋人)のことを、病人、と呼んだり、節子と名前で呼んだりするのが交互に行われ、一瞬誰を指しているのかわからなくなることがあった。

終盤、節子の登場回数が減るが、死んでしまったのか、おそらくそうだと思いました。

節子が登場しなくなってから、サナトリウムが出てくるのも減り、時々その単語が文中にあると、サナトリウムという場所が、異様な場所に思えてきました。

物語の中盤で、あれだけ感情移入させていた物語は、読み終えてみると感動するというよりは、一種の虚無のようなものを感じました。

これは余談ですが、今一番自分の近くにいる人を、近くにいることが当たり前と思ってしまっている自分に、その当たり前の時間を大切にすることを気づかせてくれる作品でした。

風立ちぬ、いざ生きめやも


シグナルとシグナレス

こんにちは。

今回は、宮沢賢治のシグナルとシグナレスという物語を読みました。

Wikipediaによると、この作品は1923年の作品だそうです。

読んでみて真っ先に思ったのは、シグナルとは、シグナレスとは誰かということでした。

本文には、まっすぐなシグナルの柱がシグナレスと書いてあるのですが、僕にはシグナルの柱というものがわかりません。

電信柱登場で、銀河鉄道の夜を思い出しました。確か、銀河鉄道の夜にも電信柱が出てきたような気がします。

電信柱を擬人化していることに気がつきました。
シグナレスが女性でありシグナルが男性です。

メリケン国のエジソン様。この表現は、メリケン国がアメリカを示しているのでしょうか。

涙を知らない電信柱どもが、ゴゴンゴーゴーというあたりから、シグナルとシグナレスが語り合っている情景を目に浮かべることが、易しくなります。

Wikipediaによると、シグナルがシグナレスに語る、「愛してくれ」という表現は、愛する、という表現をはじめて愛情表現として用いた例であるそうです。

宮沢賢治の偉大さが、わかってきました。

この物語をよむとなんだか優しい気持ちになれるような気がします。

2013年9月18日水曜日

ジャン・クリストフ1

ロマン・ローラン作
豊島与志雄
岩波文庫

こんにちは。

今日も、大学時代に読んでいた、ジャン・クリストフという本がもう一度読みたくなって、というよりは、あの長編が記憶に残っているかどうか確かめたくて、本棚から引っ張り出してきました。

このジャン・クリストフという作品は、1巻から4巻まあり、文字が小さい上に各巻それぞれ500ページ以上あるという長編です。





フランスが舞台であり、一人の男の人生を、当時のフランス様子など、こと細かく描いています。

僕は現在、2巻まで所有しており、2巻の途中まで読んだのですが、それが大学生の時だったので、どこまで読んだかわからなくなってしまっていました。

ちょっとパラパラっと読み返してみると、主人公であるクリストフが人生に打ちひしがれている時、ゴッドフリードなる人物が彼にかけた言葉が良いです。

「日の出にたいして、信心深くなければいけない。一年後のことを、十年後のことを、考えてはいけない。今日のことを考えるんだよ。理屈を捨ててしまうがいい。理屈はみんな、いいかね、たとい道徳の理屈でも、よくないものだ、馬鹿げたものだ、害になるものだ。生活に無理をしてはいけない。今日に生きるのだ。その日その日にたいして信心深くしてるのだ。その日その日を愛し、尊敬し、ことにそれを凋ませず、花を咲かすのを邪魔しないことだ。今日のようにどんよりした陰気な一日でも、それを愛するのだ。気をもんではいけない。ごらんよ、今は冬だ。何もかも眠っている。がよい土地は、また眼を覚ますだろう。よい土地でありさえすればいい、よい土地のように辛抱強くありさえすればいい。信心深くしてるんだよ。待つんだよ。お前が善良なら、万事がうまくいくだろう。もしお前が善良でないなら、弱いなら、成功していないなら、それでも、やはりそのままで満足していなければいけない。もちろんそれ以上できないからだ。それに、なぜそれ以上を望むんだい? なぜできもしないことをあくせくするんだい? できることをしなければいけない……我が為し得る程度を。」



この引用のあとには、自分が出切ることしかできないのだから、自分のできることをして、それに満足しなければならない、ということが書いてあります。

善良な人物であれば、待ち続ければいつかは花が咲く、というような言動は、敬虔なゴッドフリードならではの言葉だと思います。

話は変わりますがジャン・クリストフ、女性にモテます。羨ましいです。

時間はかかりそうですが、読破したい長編作品です。

大学生の時は断念しましたが、2巻を、読破したいと思います。

盗まれた手紙


こんにちは。

今回は、エドガー・アラン・ポーの、盗まれた手紙、を読んだので、記録します。

エドガー・アラン・ポーの作品は、大学の講義の題材として扱ったことがあったので、もう一度読み返してみようと思い、読んでみました。

大学でどんなテーマでポーを扱ったのか、あまり思い出せませんが、文学的手法や、隠された意味など、とても興味深いものだったように思います。

また、彼の死因には謎めいたものがあることも、興味をそそります。

Kindleに英語版があるのを見つけたので、今度はその英語版に挑戦したいです。

 手紙はどこにあるのか、警察は、伝えられた手紙の風貌が頭にこびりついて、そのフィルターを通してしか手紙を探せなかったのかな。

デュパンは、まず大臣がどう考えて手紙を隠すかを先だてて、探し当てようとするところに警察との違いを感じます。

かかる痛ましき企みは、よしアトレにふさわしからずとも、ティエストにこそふさわしけれ

クレビヨンという人の悲劇“〔Atre'e〕 et Thyeste”に登場する一節らしいのですが、末巻の説明を読んで、恐ろしい悲劇だと思いました。

この作品は、主人公が不在なところが独特だと感じます。

ポーの作品は、読者が第三者の目になって読み進める作品が多いように思います。

2013年9月17日火曜日


こんにちは。

今日もまた、青空文庫を使って、宮沢賢治の作品を読みました。

谷、というタイトルの物語です。

物語のはじめから、宮沢賢治の世界は訪れます。

くるくるする、というのは宮沢賢治が作った造語でしょうか。
眩暈がする、と同義語なように思います。

また、歌をどなる、という表現が出てくるのですが、今の小説でそんな表現は見たことがありません。

わからない単語は、「はぎぼだし」です。
どうやら、キノコの名前?のようですが、間違えていたらごめんなさい。

読み進めていくと、崖の存在感がものすごくて、この物語の中心は崖なんだ思いました。

しかし、タイトルは「谷」であり、なぜ崖、にしなかったのかと少し疑問に感じました。
崖と谷は、どう違うのでしょうか。

底の見えない深淵の崖を、僕は見たことがあるので、昔見た崖を思い出しました。

底に、得体のしれない何かがあるような気が、当時感じていて、その感情が思い起こされました。

今回の作品では動物が出てこなかったので、宮沢賢治、すべての作品に動物を登場させているわけではないのだな、と思いました。

セロ弾きのゴーシュ


著者:宮沢賢治

こんにちは。
今回は、セロ弾きのゴーシュについて、書こうと思います。

この作品は、もう5回以上は読んでいるのではないかと記憶しています。

大学に入ってから、入部した部活でチェロを弾くようになった僕にとって、身近に感じる作品の一つです。

タイトルに、「セロ」とありますが、いつから日本では"cello"をチェロと呼ぶようになったのでしょう。
確かに、セロと読んだ方がスペル的には正しいような気しますが、語源は何語になるのか、気になりました。

少し調べてみると、フランス語風に読むとセロと発音するそうです。

外来語なので、当時はセロと発音することが一般的だったという記述も見られました。

そして、これまでに、注文の多い料理店と、オツベルと象を読んできましたが、聞いたことのない擬音語が多く出てくるなあ、と思っていたのですが、今回のセロ弾きのゴーシュにも、独特な擬音語が出てきました。

その擬音語とは、トォテテ テテテイ、です。

合奏の途中で、指揮者が小節のはじめを表現するための擬音語なのですが、その表現がすごいと思いました。

ゴーシュ、指揮者ずいぶんと演奏を叩かれるのですが、合奏中にゴーシュが叩かれている時の他の団員の様子は、現実的にあると思いました。

宮沢賢治は、実際にチェロを弾いたことがあるのでしょうか。

次の一節は、とても僕の胸響きました。

ゴーシュはその粗末な箱みたいなセロをかかえて壁の方へ向いて口をまげてぼろぼろ泪をこぼしましたが、気をとり直してじぶんだけたったひとりいまやったところをはじめからしずかにもいちど弾きはじめました。

この、壁の方を向いて口を曲げるあたり、そして粗末な箱みたいなセロ、という表現には、ぐっとくるものがあります。

ある楽器を弾くということは、趣味で弾くのなら別ですが、演奏会に向けて練習したり、スコアを何回も読み直したりすることは、命を削る行為等しいと思います。

それでも、音楽から得るものあるために個人練習をするんだと思います。

セロ弾きのゴーシュでは、物語に動物が登場します。

三毛猫、鳥、狸、野ネズミが登場します。この動物たちとゴーシュがやり取りして行くうちに、物語は終盤へと向かいます。

セロ弾きのゴーシュの終盤は、読んでいて気持ちが良かったです。
でも、やはり、最後のゴーシュのセリフが、よくわからないと共に、物語全体に帯を締めるというか、ちょっとしたスパイスを効かせていると思いました。

一生懸命に練習して、最後に認められるのは、気持ちがいいことです。

2013年9月16日月曜日

太宰治情死考


こんにちは。

今回は、坂口安吾の、「太宰治情死考」という文章を読んだので、記録します。

タイトルの通り、太宰治の死について考察する作品です。

太宰治の死、をテーマに、芸道とは何か、というテーマが背後にあると思いました。背後に、というか、むしろそこが主となるテーマなのではないかとさえ思えてしまいました。

カストリという単語が出てくるのですが、文脈から何かの嗜好品であることは予想できました。しかし詳しく知りたく
ウィキペディアで調べてみると、第二次世界大戦後に日本で出回った、粗悪な焼酎である事がわかりました。粗悪な焼酎とは、一体どんな味がするのでしょうか。

この作品の中での名言的部分をあげるなら、以下のものをあげます。

バカ者でなければ、芸道で大成することはできない。
芸道で大成するとは、バカモノになることでもある。

この一筆からは、太宰治はイカれている、という風な感覚と、彼の残した作品に対する畏敬の念みたいなものが伺えます。

太宰が死んだ時の様子も書かれていました。自殺したことは知っていましたが、そのようにして亡くなったことははじめて知りました。

今まで読んだ太宰治の作品では、(結構読んだはずなのに、走れメロスと、人間失格しか思い返せないのはどうしてだろう)走れメロスが好きです。

もう一度、太宰治の作品を読んで、思い返す事ができるよう、記録していきたいです。

2013年9月15日日曜日

深夜特急1 香港・マカオ

こんにちは。

今日は、深夜特急1、という本を読み終えたので記録します。

著者:沢木耕太郎
発行所:新潮社

深夜特急のシリーズは、全部で6巻あります。

その第一巻であるこの作品は、三洋書店の古本コーナーで¥200という安さで売られており、兼ねてから読んでみたかったこともあり購入しました。

裏表紙の概要のような記述をみると、沢木耕太郎が26歳の頃の旅の物語であることがわかります。

僕より少し年上で、自身も世界を旅してみたいという思いから、この作品に出会ったのは、偶然ではないように思います。

物語の中盤あたりで、作者が博打にハマってしまうのですが、その博打の名前が「大小」と書いて「タイスウ」と読みます。

ルールは結構簡単な気がします。三つのサイコロが転がり、その目の数字について賭けます。

賭けることができるのは、大、小、ゾロ目の3パターン。

この博打について、ディーラー達とお客さん、そして作者の様子が、文章を読んでいると映像として想像できます。

深夜特急が書かれた年は、末巻にあるコピーライトが1986年だったので、おそらく25年以上は前ということになります。

今と当時では、いくらか様子は変わっているのでしょうか。
物価もだいぶ上がっているかもしれません。
大小という博打をやってみたいと思いましたが、作者のように、負けているのにまた賭けることは僕にはできないように思いました。
実際打ってみないとわかりませんが...。

サンドウィッチを三文治、コーラを可楽と書くのは面白いと思ったし、iPhoneでコーラと打つと、予測変換で可楽が出てくるのは意外でした。

末巻に書いてある、沢木さんと山口さんの対談も、面白かったです。
パリでは、年明けのカウントダウンに、そんなことしちゃうのか、といったことや、沢木さんが卒業前にはあまり外国に目が向いてなかったことなどが書いてあります。

深夜特急2 マレー半島・シンガポールも、読んでみたいと思います。


オツベルと象

こんにちは。

今回も、宮沢賢治の作品を記録します。

オツベルと象、という作品です。

気のせいかこのオツベルと象、リズムがいいというか、テンポ良く読めました。

例えば次のくだりがそうです。

ところがそのときオツベルは、ならんだ器械のうしろの方で、ポケットに手を入れながら、ちらっと鋭く象を見た。

どうでしょう、一定のテンポを感じませんか?

次の小節も、リズムを感じます。

百姓どもはぎくっとし、オツベルもすこしぎょっとして、大きな琥珀のパイプから、ふっとけむりをはきだした。

途中で象の鳴き声に、「グララアガア」という表現がされているのだが、当時はそのような表現がされていたのでしょうか。

注文の多い料理店、でも登場する「くしゃくしゃ」という表現が、このオツベルと象でも登場します。

あまり良い意味では、オツベルと象でも、注文の多い料理店でも、使われていませんでした。

そして、一番最後の一節が、すごくひっかかりました。と同時に、この一節が、この物語に独特の雰囲気を与えている感じがします。

注文の多い料理店


こんにちは。

第一回目の投稿は、「銀河鉄道の夜」にします。

作者:宮沢賢治

いきなり、山がものすごいからと、犬が死んでしまいます。

この作品は、以前読んだことがあったのですが、その時は、あまり理解せずに読み飛ばしていました。

なので、改めて読んでみました。

以前読んだ時も感じたことですが、「注文の多い料理店」を読むと不思議な世界に入り込んでしまいます。

はじめ読んでいると、舞台はイギリスの山奥らしいということが伺えます。宮沢賢治の作品は、舞台がどこなのかわかりづらい気がします。

この作品に関して言えば、少し不気味な雰囲気を冒頭部分からは感じます。


疑問点:
二人の一片紙くずようになった顔は、なぜ元に戻らなかったのか。作者の宮沢賢治は、この作品で読者に何を伝えたいのか。


2013年9月13日金曜日

このブログについて

はじめまして。

SHINYA MIYAGIです。

オススメの一冊、というブログを始めました。

このテーマのブログをはじめた理由は、僕が常日頃からやみくもに読んでいる本を、記録がてらに残しておこうと思ったのがきっかけです。

以前は、小さいノートなどに読破した日付や作者や著書のタイトルを記録していたのですが、記録したい時に手元に無い、などの理由から、記録することをいつしか辞めてしまっていました。

テクノロジーがものすごいスピードで進んでいくこの現代社会において、アナログ的な記録ではなく、デジタルでデータ化することで、いつでも記録したいときに記録することができると思い、ブログにしようと思いました。

タイトルはオススメの一冊ですが、主に僕が読破した本のデータとその感想を書こうと思っています。