著者:宮沢賢治
こんにちは。
今回は、セロ弾きのゴーシュについて、書こうと思います。
この作品は、もう5回以上は読んでいるのではないかと記憶しています。
大学に入ってから、入部した部活でチェロを弾くようになった僕にとって、身近に感じる作品の一つです。
タイトルに、「セロ」とありますが、いつから日本では"cello"をチェロと呼ぶようになったのでしょう。
確かに、セロと読んだ方がスペル的には正しいような気しますが、語源は何語になるのか、気になりました。
少し調べてみると、フランス語風に読むとセロと発音するそうです。
外来語なので、当時はセロと発音することが一般的だったという記述も見られました。
そして、これまでに、注文の多い料理店と、オツベルと象を読んできましたが、聞いたことのない擬音語が多く出てくるなあ、と思っていたのですが、今回のセロ弾きのゴーシュにも、独特な擬音語が出てきました。
その擬音語とは、トォテテ テテテイ、です。
合奏の途中で、指揮者が小節のはじめを表現するための擬音語なのですが、その表現がすごいと思いました。
ゴーシュ、指揮者ずいぶんと演奏を叩かれるのですが、合奏中にゴーシュが叩かれている時の他の団員の様子は、現実的にあると思いました。
宮沢賢治は、実際にチェロを弾いたことがあるのでしょうか。
次の一節は、とても僕の胸響きました。
ゴーシュはその粗末な箱みたいなセロをかかえて壁の方へ向いて口をまげてぼろぼろ泪をこぼしましたが、気をとり直してじぶんだけたったひとりいまやったところをはじめからしずかにもいちど弾きはじめました。
この、壁の方を向いて口を曲げるあたり、そして粗末な箱みたいなセロ、という表現には、ぐっとくるものがあります。
ある楽器を弾くということは、趣味で弾くのなら別ですが、演奏会に向けて練習したり、スコアを何回も読み直したりすることは、命を削る行為等しいと思います。
それでも、音楽から得るものあるために個人練習をするんだと思います。
セロ弾きのゴーシュでは、物語に動物が登場します。
三毛猫、鳥、狸、野ネズミが登場します。この動物たちとゴーシュがやり取りして行くうちに、物語は終盤へと向かいます。
セロ弾きのゴーシュの終盤は、読んでいて気持ちが良かったです。
でも、やはり、最後のゴーシュのセリフが、よくわからないと共に、物語全体に帯を締めるというか、ちょっとしたスパイスを効かせていると思いました。
一生懸命に練習して、最後に認められるのは、気持ちがいいことです。
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