2015年10月31日土曜日

陽気な日 (自作小説) 昼2


みなさんこんにちは。
今日は土曜日で仕事がお休みなので、前回の続きを書いていこうと思います。



昼2


この出店では、ドライフルーツを売るらしく、ディスプレイには多くのドライフルーツが所狭しと並べてある。せっせと準備をする若いお兄さんを見て、「頑張ってるなあ」と思った。

小一時間近くのショッピングセンターで時間を潰した。大きなショッピングモールで、衣食住に必要なものなら全てそろえることができそうなショッピングセンターである。世の中物質的には豊かになったと思うが、消費をとおして感じることのできる幸福感には限りがあるという。
経済指標、株価、成長率を土台にした資本社会で何を幸せの基準にするのか問われたとき、消費という答えが返ってくるのはある意味、必然的なものなのかもしれない。

大型テレビ、高級セダン、高級セダンといえば、ショッピングモールの広場で高級車が2台並んで展示されていた。一体どこから店内に入れたのだろうと訝しく思い、あれほど高級ではなくとも、一度はスポーツカー、今だったらモデルチェンジしたTOYOTA86に乗ってみたいなあとも思った。展示されている高級車の脇をとおり、さきほどの出店がある通りへ戻ってみると、各店舗準備が終わったらしく、ざっと数えて10店舗ほどの出店が軒を連ねていた。

目についたのはスペインのパエリア料理、サトウキビから絞った搾りたて果汁100パーセントジュース、揚げたてチュロス屋さんや中華料理のテイクアウェイができるお店などで、国際色豊かである。

彼女と合流したら、何か買って一緒に食べようかな、と勝手に予定を立て、そろそろ彼女の仕事場の最寄り駅まで行くことにした。
チャッツウッドから一つ離れたアーターモン駅に着き、メッセンジャーで駅に着いたことを告げるメッセージを書いた。彼女に会うためには、シティからチャッツウッドか、今いるアーターモン駅まで来なければならない。彼女が私の住んでいるシティまで来てくれることもある。同棲していないため、時間をかけてお互いのいる場所まで足を運ぶ必要があった。同棲するかと尋ねたこともあったが、今のオウンルームが快適だということで、今以上の条件がそろわなければ引っ越したくないと言われていた。そんな我儘は、一緒に住むことができれば多少快適さが劣るとしても、妥協できるのではないかと心の中で思ったが、先日彼女の住むオウンルームを訪ねて実際過ごしてみると、彼女の言い分が少しわかったような気がした。

シドニーの不動産事情はというと、一年で不動産価格が10パーセントずつ上昇しているらしい。家を買うことができるのは、よほどのお金持ちということだ。賃貸契約においても、家賃は高く、私が住んでいるシティ内のシェアルームでも、1週間$130、つまり一か月4週間で考えると、$520もかかるのである。郊外では少し安くなり、自分の部屋を持つことができるオウンルームの契約でも、彼女の場合は1週間$165という破格の値段で賃貸していた。それに加えて、閑静な住宅街に位置しているため、周りは静かで治安も良い場所であり、条件も良かった。。
インターネットでカップル可能な物件を数週間探してみたものの、なかなか良い条件の物件がみつからず、半ばあきらめかけている。

アーターモン駅はまさに郊外、というような感じの駅だと思う。駅を出てすぐのところに、パン屋さんがあり、そこの店員の愛想がよく、気に入っている。メッセージの返信があるまで、このパン屋さんでブルーベリースコーンを買って食べながら待っていようと思い、店内へ入った。「なににしますか?」的なことをまさにネイティブのオーストラリアンに聞かれる。オーストラリアンのことをオージーというらしい。その事実を知ったのは、ここ最近のことである。このパン屋さんの店員は、おそらく、高校生くらいの地元の女の子、といった感じである。

にこやかな少女の対応に、おのずと私も顔の緊張がとれ、にこやかになる。「ブルーベリースコーンをお願いします。」と答え、望みの商品を注文した。5、6歳は年下だと思われる少女のほうが私よりもきっと人付き合いが上手だろうなと、思う。自然な笑顔、友好的な態度、どれも私の苦手とするものである。見知らぬ人、親しくしている人の前でさえ、なかなか自分の感情を素直に表現することが不得意なところが私にはある。なので、パン屋の少女のように無垢な笑顔を向けられると、安心感というかハニカミが生まれ、心地よくなるのだ。この心地よさが、このパン屋を好きになった理由なのかもしれない。


スコーンを買い店を出て、食べようと包みから出そうとしていると、彼女からの返信が届いた。「暇すぎて、もう帰れることになった」との内容である。そうか、そんなに暇なのか、と半ば感心し、スコーンがお預けになった口惜しさと、一日の残りを彼女と一緒に過ごすことができる嬉しさを感じ、彼女の待つ場所へと急いだ。

2015年10月25日日曜日

貯金兄弟 竹内謙礼 , 青木 寿幸

みなさんこんにちは。
今日は『貯金兄弟』を読んだので、感想を書きます。

人生におけるお金に対する身の振り方を、考え方の違う兄弟2人を通して疑似体験する事ができるストーリーです。
知識的な内容だけでなく、ストーリーも面白く、弟である翔太の不思議な能力が重要な要素になり、ストーリーが進んでいきます。

中間くらいまで読んでいると、「あ、貯金しないとマズイな」とか、「貯金したいなあ」と貯金がしたくなる思考へと誘うような内容でした。
消費者金融から借りて、返済に困ったり、金使いの荒い兄を見ていると、貯金にたいする正義の意識が芽生えてきました。

しかし最後まで読み終えると、結局、貯金ばかりしていても、駄目なのかもしれない、ある程度のバランスを考えてお金と付き合うべきなのかも、という自分なりに解釈しました。

お金のことを心配しないで生活できれば、それにこしたことはないと思いますが、世の中そのような人は割合的にわずかでしょう。
ある程度の貯金を行いつつ、消費するところは消費する。
そんな感じで貯金を以前よりも意識して行いたいなと思わせてくれた一冊でした。
弟の翔太が教えてくれた貯金術など、早速実践したいです。



2015年10月18日日曜日

陽気な日 昼 (自作小説)

みなさんこんにちは。
今日も自作小説、小説というかエッセイのような感じになっていますが、書いていこうと思います。
余談ですが、MacBook Airを使用して書いているのですが、os x el capitanにアップデートしたためか、勝手に漢字に変換する機能が追加されたのか定かではありませんが、この機能のおかげでタイピング速度が速くなったような気がしました。
el capitanについても別のブログでまとめられたらなあと思っています。




私がチャッツウッドに向かうのにはいくつか理由があるのだが、まず彼女に会いに行くためである。同棲していないため、少しの時間でも会いたいという気持ちが働き、彼女の仕事の空き時間や、仕事が終わる夜遅くにも頻繁にチャッツウッドに通うことが多くなっていた。

シティからチャッツウッドまで、ウィンヤード駅から約25分、普通列車だと最大でも30〜35分程度で行くことができる。

ぽかぽかした土曜日ということもあり、6月7月に比べて人通りが多くなっていることに気づく。ほとんどの通行人がサングラスをかけ、男性は半袖に短パン、ある女性はノースリーブを身につけ胸元を大胆に開けている人も見られる。
日本に比べて、肌の露出が多いな、と少し気に留めながら歩いてウィンヤード駅へ向かった。

電車に乗り込むと、心地よい空調の冷気が皮膚に触れる。座席を探し、丁度良さそうな席へ腰掛け、スマートフォンを眺めた。

メールが数件、ほとんどが登録してあるサイトの通知だったり、フェイスブックの投稿である。ミートアップへ参加するかどうかを確認する出欠確認のメールが少し気になったが、とりあえず削除はせずに残しておくことにした。

2週間前に参加したミートアップと同じものであり、この間参加した時はベトナム人や韓国人、インド人といった他国の人たちと、お酒を飲みながら英語で交流することができた。

その中にはテンションの高い韓国人女性がおり、あまりハイテンションになることがない私は、新鮮で多少楽しい時間を過ごすことができたので、気が向いたら再度参加してみようと思っている。

必要のないメールを削除し終わった頃、窓の外を眺めると、ハーバーブリッジを通過するところだった。空にはポツリ、ポツリと雲がふわりと浮いている。上空には青い空、橋の下には青い海、青い色は好きである。オペラハウスは見えないかと、探してみたが、一般車両が通行する一般道に隠れて見ることができなかった。まあ、そんなにうまく見えないよな、と思いながら、再びスマートフォンに意識を向ける。

世の中便利になったものだ。何冊も本をカバンの中に入れて持ち運ばなくても、スマホ一台あれば、読むことができる。
紙媒体の方がしっくりくる、という人もいるが、場所を問わずに好きな書物を読むことができることは素晴らしいことであると思う。

数字の0と1の世界、コンピューターの世界をもっと知りたいと最近考える。パソコンは、2進法しか理解できないらしい。その理由など、何かのサイトで見たが、忘れてしまっていた。人間の脳は、何かと忘れっぽいようだ。
長期記憶にするためには、人に説明出来るくらいにならなければいけないらしい。

いろんな本を読んできたが、読んだもの全てを説明出来るほど私の頭は高性能ではないようだ。
ハーバーブリッジを通過し、3駅ほど郊外の駅を通り、いよいよチャッツウッドへ到着した。

電車を降り、エスカレーターで階下に向かい、改札をくぐる。改札の向こうにはMcDonald’sやブレッドトップ、寿司屋などの店舗が並んでいる。アジア人が多く、シティと比べると清潔感のある町である。お腹がなり、空腹を覚えたので、ブレッドトップでパンを3つほど買った。

「さて、彼女の昼休みまで何をして過ごそうか…。」と考え、いつものように、良さそうなカフェで時間を過ごすことにした。
ブレッドトップのある通りから、大きなショッピングモールのあるストリートへ向かう。ビクトリアアベニューは両脇にカフェやデザートショップなどが並ぶストリートで、中央にはベンチやちょっとしたスペースがあり、時々各国の出店が出店することもある、素敵なストリートである。

今日も出店があるらしく、中東っぽい出で立ちをした男性が、テントの準備をしていた。


<つづく>

2015年10月6日火曜日

僕だけがいない街 <1巻>

みなさんこんにちは。

久しぶりに漫画を読んでみました。
全六巻のうち、1巻目をAmazonのKindleで購入し、読みましたので感想など書いていこうと思います。

ほんわかした感じの表紙とは裏腹に、内容はミステリアスで、主人公(悟:さとる)は時間を過去に遡るという不思議な現象を体験します。
時間を過去に遡る現象はリバイバルと呼ばれ、主人公の意思とは関係なく発動し、なんらかの「違和感」を見つけることができれば、もしくは未来に起きる負の出来事を回避することができれば、リバイバルはおさまります。
このあたりのことは、ネタバレになりそうなので、割愛しますが、読んでいけばわかると思います。

私が特に引き込まれた点は、主人公の悟が自分のことを「何もない人」と考えている点や、漫画を描きつつバイトをしたり、女子高生から尊敬されていたり、「何もない」と考えている割には一応、作家としてデビューしていたり、決してイケイケではないけれど、夢を追いかけて漫画を描いていたり(一巻である現時点では)、過去に明らかになっていない影があったりと、次巻を読みたくなる要素が多くちりばめられていると感じました。

巻末の終わり方も、多少ストーリーの流れを推測できるものの、これからどうなっていくのかわからない点も、読者を引き込む要素ではないかと思いました。

次巻も近いうち、購入しようと考えています。
ちなみに、以下のサイトで1話部分のみ読むことができるようです。

リンク:コミックウォーカー






追伸:先週の土曜日から今日まで、シドニーはとても暑い日が続いています。明日は少し和らぐようですが、配達をしている私にとっては日差しが強烈で少し苦戦気味です。スイカバーが食べたいです。





2015年10月3日土曜日

陽気な日 (自作小説)

みなさんこんにちは。

日本はもう秋でしょうか。
オーストラリアシドニーは、だんだんと夏の陽気になっています。

今日は短編小説を書きます。






私は今オーストラリアにきている。ワーキングホリデーという制度を利用し、勤めていた会社を辞め、一世一代の大冒険へ乗りだそうと意気込んで来てみたのは良いものの、近頃シティでの生活に飽きを感じ始めていた。
オーストラリアの都市シドニーで生活をはじめてから早くも3ヶ月が経っていた。シティは人が多く、必需品や奢侈品もなんら困ることなく買うことができる。また、シティにはパブが多く点在しており、徐々に暖かくなってくる9月を境に、日中からパブでお酒を嗜みながらお喋りをする人々もみられるようになってきた。
天気予報によると、季節的には春というのにもかかわらず、異様に気温が上がるらしい。最高気温は33度、ということだった。暑いのが苦手な私は、すこし気持ちが萎え、春でこの気温なら、真夏はどれくらい気温があがるのだろうかと、先のことに不安を覚えた。
20代も後半を迎え、昔に比べて時間の経過が早く感じられるようになり、休みの日を怠惰に過ごすことが罪に感じられるようになってからというもの、午前中の時間に勉強や用事などを済ませないと気持ちが落ち着かないようになっている。
なので週末は、9時までには身支度を整え、カフェや図書館で過ごす習慣ができている。今日もその習慣どおり、ビューティーアンドユースのトレザーとコムサイズム七分袖のVネックTシャツに、高校卒業祝いに父親からもらった腕時計と、お気に入りのブレスレットを身につけ、州立図書館(state of library NSW)へ向かった。住んでいるアパートメントを出ると、心地よい日の光が体中に当たった。午前中ということもあり、まだ人の流れは緩やかで、比較的落ち着いた雰囲気だ。
通りを歩いて図書館へ向かう。向こうから歩いてくる人々を観察しながら、てくてくと歩を進める。視界に入るのは、ビル、車、カフェ、チャイナタウン、道行く人々だ。シドニーはなんだかごちゃごちゃしていると私は思う。オーストラリアは移民の国とは良く聞くが、確かにアジア系住民、特に中華系勢力は強いように感じる。
爽やかな風を肩に感じながら歩いて行くと、徐々に体が汗ばむのを感じ始めた。肩掛けのボストンバッグにはMacBook Airと財布、日本のスタバで購入した水筒、小銭入れが入っており、小柄な私には少々重く感じられるほどである。そのため、2キロほど歩いた後、バスに乗ることにした。シドニーではオパールカードという公共交通機関で利用できるプリペイド式カードがある。日本のSuicaやPASMOのようなもの、といえばピンとくるだろうか。このカードは週に8回利用すると、次の乗車では運賃が無料になるというシステムが採られている。例えば、月曜から木曜までで各日2回ずつ利用すれば、木曜日の往復までで合計8回利用したことになり、金曜日からは無料でパスや電車、フェリーまで無料で乗車することができる。
仕事上、金曜日までに8回利用する私は、毎回週末になると無料で交通機関を利用することができるこのシステムが大変気にいっている。なんだか得した気分になるのだ。このシステムは、日本と違って休日は外出することが少ないらしいオーストラリアの住民を、なんとか外出させようと試みる政府の政策らしい。確かに、休日のシティは、少し人が少ない気がする。人ごみが嫌いな私は、休日、特に土日の早朝が大好きだ。
バス停に辿りつき、バスを待つ間、フェイスブックのメッセージを確認する。彼女からのメッセージが3件。嬉しくなって読むと、「昨日は飲み過ぎて眠たい」とか「今日も仕事だ」とか「今日も会いたいね」との文章が目に入る。「うん、今日も仕事がんばって」「はやく会いたいね」と返信し、バスを待った。バスが到着して乗り込んだ。オーパルカードを電子機器にタッチし、座席を探す。高齢者専用の座席しか空いておらず、すこし座るのがためらわれたが、お年寄りはいないこともあり席に座った。向こう側の席にはブロンドのいかにもオージーらしい若い女性が座っていた。サングラスをかけ、ノースリーブで色の白い白人女性だ。外見から判断するとやはりおそらく、オーストラリアでの生活が長いのではないかと想像出来る。乗車して10分足らずで、州立図書館近くのバス停まで到着した。そのバス停で下車し、250メートルほど徒歩で残りの道を行く。道中、ローカルのカフェがあり、美味しそうなサンドイッチや、店外に設置されてある座席で朝食を取る人たちを羨みながら足を進めた。
図書館に着くと、併設されているカフェに向かい、ロングブラックとハムサンドイッチを注文して食べることにした。カフェの店員は、彼女が話す言語から判断するにタイ人らしい。私が抱くタイ人のイメージは、フレンドリーで親切、だ。「こんにちは。ご機嫌いかが?」と、注文する際に買わされる一般的な定型文が店員から発せられる。「ロングブラック一つと、ハムサンドイッチを一つください。」と私は店員に言った。しかし女性が持ってきたサンドイッチは、私が望んでいたものとは異なるものだったので、「それではなく、これです。」と指を指して言うと、理解したらしく「10ドルです。」と女性店員。「持ち帰り?」と聞かれ、実際は店内で食べるつもりだったが「持ち帰りで。」と応えた。ドリンクとサンドイッチで10ドル。まあ、物価の高いオーストラリアでは妥当な値段である。注文したサンドイッチには、ハムとトマトとチーズが挟まれている。なかなか美味しかった。

12時まで図書館に併設されているこのカフェで勉強した後、私はシティの北、ハーバーブリッジを超えたところにあるチャッツウッドという町へ向かうことにした。


<つづく>

2015年8月1日土曜日

夜風

みなさんこんにちは。

今日は短編というのか、詩というのか、ポエム的なものを書いてみようと思います。




一人の友人が話すと、私のこころは締め付けられた。

その友人はなぜか輝いて見える。

私のバイアスを彼女はすりぬけることができない。

細くて繊細な網の目を、彼女はすりぬけることができない。

私のこころには深く根ずく何かがあって、彼女はそれを引き抜こうとする。

でも私はその根っこを引き抜かれたくないので、苦しむのだ。

彼女は無意識にそれをしている。

私のこころは締め付けられる。

いっそ、根こそぎ抜いてくれれば楽になれるのに、彼女はすることができない。

そうする意思を持ってはいないだろう。

私の気持ちを話せば、締め付ける薔薇はゆるんでくれるのだろうか。

いっそ、はなしてしまおうか。

私のこころがしめつけられる。

こころが曇っているけれど、厚い雲はすぐに晴れるものだ。

今はゆっくり待ってみよう。




少しネガティブで抽象的な表現が多いですが、書いてみました。

2015年6月20日土曜日

夏の色を探しに -(ペンネーム未定)

みなさんこんにちは。
今年から、「夏の色を探しに」という(あるアーティストの楽曲のタイトルでもありますが)タイトルで小説を勝手ながら連載しています。
今日はその続きを載せます。

草稿のつもりでとりあえず書いていき、出来上がり次第編集を加えてまとめて載せようと考えています。


5.人気店 (前期に続き)

 会社はお昼休みで、オフィスに入るとラジオからはお昼のニュースが流れていた。数人の顔なじみに挨拶をし、課長のデスクへと向かう。課長からのお誘いに乗じたとはいえ、一度会社を辞めた人間である僕は、以前まではあたりまえのように出社していたこのオフィスにいることが場違いのような気がしてならなかった。しかしそれは単に僕が考えすぎているからで、かつての同僚たちは僕が会社を辞めたことに関して、それほど気にも留めていないかもしれない。とはいってもやはり、人間というもの、辞めたところに顔を出すのはいささか気力を要することではあるだろう。
「おはようございます。課長。」
日本では、職場に出社したときは昼夜問わず「おはようございます」と挨拶をする慣習になっている。この習わしはどういう経緯でいつ頃はじまったのだろう。
「ああ、待ちわびたよ。」
5分前に着いたのだが、課長は待ちわびていたらしい。少し疲れているように感じた。
「早速だけど、出発しようか。」
僕は了承し、辞める前に使用していたデスクを眺め、かつての同僚たちに会釈をしてオフィスを後にした。AB型の先輩はオフィスにいなかったので課長に聞いてみると、外回りをしているらしい。なにやら、大きな仕事を任されているようだ。私が勤めていた頃から、先輩は課長から大きな信頼を得ていた。女性という立場上、オフィスでそれほど存在感を感じさせない先輩だが、仕事に向き合う姿勢や仕事の質、それだけではないが「仕事のできる人」だった。それは単に私の直列の先輩だったからというのではなく、誰から見てもそうだった。
もしかすると私は、先輩の下で働いたがために会社を辞めたのかもしれない。というのは、できすぎる上司の元で働く部下は、上司の背中が遠すぎて自分の自信を無くしてしまうという記事を読んだからだった。
店まで公用車で向かうことにし、運転席に座った。運転すること15分後、お店の駐車場に車を止めた。
お店の前には6名ほど列ができていた。
「平日なのに列ができるお店がこの辺にあったなんて知りませんでした。人気なんですねえ。」と僕は言う。
「この街でつけ麺といったら、この店が一番だと思うよ。」
と課長は少し嬉しそうに言った。


<次回に続く>

2015年4月28日火曜日

夏の色を探しに -(ペンネーム未定)

みなさんこんにちは。
今年から、「夏の色を探しに」という(あるアーティストの楽曲のタイトルでもありますが)タイトルで小説を勝手ながら連載しています。
今日はその続きを載せます。

草稿のつもりでとりあえず書いていき、出来上がり次第編集を加えてまとめて載せようと考えています。




5.人気店

明くる朝、私はお昼頃になってようやく寝床からでて活動する意思が芽生えてきたので、上半身裸になり髪を濡らして洗顔をすることにした。
風呂場に備え付けてある鏡は曇っているにもかかわらず、ある程度引き締まった腹筋をいつものように確認することができた。あと少し肉付きが良く筋肉質だったらいいのにと、理想と現実が乖離していることにわざわざ落ち込む。
今日は夕方からフェルメールの画展に出かけることになっているのだが、それまでだいぶ時間がある。暇があると私は本を読むか、ギターを弾くか、横になって漫画を読むか、資格試験の勉強をするかのいずれかである。
どれを行うかはその日の気分次第−−−私の脳はギターを選択した。本棚に立てかけてあるアコースティックギターを手に取り椅子に座った。4年前に買った3本目のギターであり、アンプに繋げることもできるピックアップ付きのエレアコだ。それほどメジャーなメーカーの製品ではないが、フレットと弦の間隔が丁度良く手に馴染んでいた。音色には満足していなかったが、3本の中で一番使用頻度の高いギターを私は「サニー」と呼んでいた。サニーという名前は彼女がつけたもので、理由はなんだったっけ−−−今日の画展で聞いてみようか。そんなことを考えながらバッハの練習曲に苦戦していると、離職したばかりである会社の課長から電話がかかってきた。
「はい、もしもし青田です。」
仕事上、なにかやり残したことでもあったかと不安な思いを巡らしながら応答した。

「青田さん、ラーメン好きだったでしょ、今から前話したつけ麺屋にいってみないか。」

食事の誘いに安堵した私は誘いを受けた。課長は近頃つけ麺の魅力に目覚めたらしく、私がラーメン好きだとわかるとおすすめのお店を地図までつけて紹介してくれた面倒見の良い課長である。もう会うことはないと思っていたのだが、その予想は早くも裏切られた。私は抱えていたギターを元置いてあった場所へ戻した。ギターにはうっすらと埃の膜がかかっており、もっと手入れをしてくれと言わんばかりの雰囲気を出している。そういえば、昔程には手入れをしなくなっていた。音楽への興味関心が以前と比べて薄れているのを感じ、少し悲しくなった。そうやって時が経つにつれて冷めてゆく自身にもどかしさを感じる。今から食べに行くつけ麺だって、何度も食べているうちに美味しいという感情は薄れていくのだろう。ならなおさら、今日のつけ麺を味わっていただこう。埃かかったギターが私を見上げているのをよそに、服を着替えて家を出た。庭に植えてある名を知らない花の周りを一匹のミツバチが弧を描いて飛んでいた。蜂は黒い色に反応するんだっけ、と少し恐怖しながら、私はミツバチの進路に注意して離職したばかりの会社へ向かった。今日も相変わらず、からっとした良い天気だった。

2015年4月25日土曜日

異邦人 - カミュ

みなさんこんにちは。
そろそろゴールデンウィークがはじまりますね。

今僕が働いている沖縄のホテルは、さぞかしお客さんが増えるのでしょう。
県外の方や外国からお越しになる方が多くいます。

今日は買ったはいいけれど本棚に眠っていた一冊を読破したので感想を書きたいと思います。
アルバート・カミュの著書である『異邦人』を読破しました。
高校生くらいの頃からカミュという作家がいることは知っており、『異邦人』という本があることも知っていましたが、ようやく、読み終えることができました。





読み終える、と言ってもそれほど長編というわけではなく、新潮文庫から出版されている窪田啓作訳のものを読みました。
本編のページ数は127ページ。
読み始めると中断する気になれず、一気に読むことができました。

やはりこの物語の中心はムルソーといえるでしょう。
母の死の後に人を殺してしまい、人を殺した理由を彼ムルソーの言い分では「太陽のせい」だという彼の理性や性格、思考がうまく描写されていると思いました。
ムルソーはアラビア人を一人殺してしまうのですが、その時の自然、つまり浜辺や太陽、海などに神秘的なものを感じました。
私のなかでは未だになぜ、一発打ち込んだ後に少し時間を空け、さらに4、5発打ち込んだのか謎です。

ムルソーは自分にあまり興味がなく、また他人にもそれほど興味がないように思います。
周りの体裁を気にするよりも、自分の本能で生きている、といったほうが適切かもしれませんが、母が亡くなっても涙を流さないところは少し人間味が欠如しているような印象を持ちました。

また、もともとアラビア人殺害の罪で告訴されたにもかかわらず、なぜか母親の死にたいするムルソーの態度が裁判上の論点になってきているかのような話の展開にも関心しました。
物語には敬虔な検事や神父が登場するのですが、彼らが頑なに信じていること、それは神だったりするのですが、ムルソーは死刑宣告後も神を全く信じません。ムルソーは何に救いを求めるのか、そもそも誰かに救いを求めること自体、ムルソーの頭のなかにはなかったのかもしれません。

この世に絶対的なものは存在しない、そんなメッセージが物語全体をとおして感じられた一冊でした。
白井浩司さんの解説も、読み応えがありました。
もう一度はじめからじっくり読みたい一冊です。

2015年4月22日水曜日

夏の色を探しに -(ペンネーム未定)

みなさんこんにちは。
今年から、「夏の色を探しに」という(あるアーティストの楽曲のタイトルでもありますが)タイトルで小説を買ってながら連載しています。
今日はその続きを載せます。


3.深海

 3月31日で仕事を終えた私は今日で仕事が終わりという実感が全くなかった。明日になればまた、なんとなく出勤する感覚であり、上司や先輩達とあたりまえのように顔をあわせるのだという気持ちでいた。「おはようございます。」別段明るく元気な声を出して出勤するわけでもない、これまで当たり前のような朝がもう来ないなんて想像することができないのだ。仕事納めの翌日、お世話になった方々に挨拶をするため会社に向かい、駐車場から会社のドアへ向かう途中、もしかしたら会社へ向かう車内でだったかもしれないが、そこではじめて、もう出勤しないこと、会社の一員ではないことを実感する。とても寂しい感覚がじわじわと沁みてくるけれど、不安ということはなく違和感といったほうがしっくりくる。これまで普通だった「おはようございます」と今日の「おはようございます」は全く違う。「おはようございます」が、別れの挨拶のように感じる。私がそう言い放つのを聞き、それを意識しいているのはどれくらいいるだろうか。少し周りを気にしながら、より一層、手帳カバーをいただいたAB型の先輩に意識が向かう。これからはもう、仕事の関係で連絡を取ったり冗談を言ったり、おちょくられたりすることはなくなるのか、そう思うと少し寂しくなる。先輩はどうだろう、同じように寂しい気持ちでいてくれているだろうか。私より数十年と社会経験を経ているから別れは幾度と経験しているだろうから、もう慣れっこかもしれないと考える私はやっぱりひねくれている。長居は無用と決めていたので、一通り挨拶を終え、AB型の先輩へ近づき様子を伺った。パソコンに向かっていたが私の気配を察したのか、席を立ち微笑で話しかけてきてくれる、とても気の利く先輩だ。あたなはやはり、優しくて我儘で、ちゃんとしています。貴方の元でいろんなことを教わりました。時に厳しく、時に優しくしてくれた、指導もきちんとしてくれた、貴方の指導は愛がありました。ありがとうございます。とても感謝しています。また何処かで、もう会うことはないかもしれないけれど、お元気で、貴方の悩ましげな表情ではなく、満面の笑みがもっと見たかったです。そんな数ある言いたいことを胸にしまいこみ、何気ないやりとりをした後、会社を後にする。外は風が強く少し湿っている。季節は春、今日は天気が良く、雲は空に2割程度。確か空に3割までなら晴れだったかな、と考える。そう、今日の天気は晴れ。もうここに帰ってくることは二度とないのかもしれない。人の出会いは一期一会だ。出会った全ての人を私は愛でているけれど、当人は私を毛嫌いしているかもしれない。そう考えると縁あって出会った人と一旦離れてしまうと再会が難しくなる。たとえそれがとても会いたい人だったとしても、「あの人は今どうしているだろう、元気でやっているだろうか」と考えるだけで実際自分がその人の人生に入り込むことは決してしない。


4.ラジオ

 夜になるといつもの習慣がはじまる。私は平日の夜、ラジオを聴く時間がとても好きだ。ひとり誰にも邪魔されず部屋の中でコンポーネントのスピーカーから流れ出るラジオパーソナリティーの声、合間に流れる音楽、CM、内容はどうあれ、音を聴くという受動的な営みが好きだ。そう、受動的な営み、ということに関して夜は特に受動的になる。朝起きて1日を過ごした疲れがそうさせるのか、または私の内向的な性格がそうさせるのか知らないが、何か作業をしながらでもラジオをつけ、なんとなく耳にするのが思春期からの習慣だ。この世の中には実に多種多様な人間がいる。今私がベッドに横になりラジオを聴いているこの時間、働いている人がいる、友達や恋人に電話をしている人、出産している人だっているだろう。そう考えると世の中というのはなんと不思議なものか、そういった全てのことが地球を動かしているのだ−ラジオを聴いて物思いにふけっていると訳のわからないことを考えてしまう。そんなことを考えていると24:00の時報を告げる音が流れた。ジェットストリーム、ジェットストリーム、ジェットストリーム・・・番組名とゆったりとしたチェロの音色が心地よい。ああ、今日も終わった、ふう。いつもとなんら変わらない明日が、私の目覚めを待っている。いざ行こう、そんな明日へ。ジェットストリームはいつも変わらず放送中だ。


2015年4月8日水曜日

不良少年とキリスト - 坂口安吾

みなさんこんにちは。
今日は青空文庫から、『不良少年とキリスト』を読みました。

太宰治と芥川龍之介がなぜ自殺したのか、という疑問に坂口安吾の視点から答えてくれます。
二人の文豪にたいする弔いの作品なのかな?とも思ったのですがその理由は、読んでいて彼ら二人が生きていたらどんな作品を次々書いただろう、という坂口安吾の残念がる気持ちが伝わってきたからです。


二日酔いは魔術。
二日酔いを「フツカヨイ」とカナ書きで書いているため、強い印象を得ました。

歯痛の話しから一転、太宰の話に軸を写し、最後は原爆や学問といったスケールの大きな話になり、歯痛の話はいずこへと疑問に思いました。

明治時代の文学って、なんか面白いと思うのは、そういう文学を面白いと思う自分に酔っているからだろうか。

また他にも青空文庫で読んでみることにしたいです。

今は文庫本で『凍りのくじら』という本を読んでいるのですが、なかなか良いです。

夏の色を探しに - (ペンネーム未定)

⒈ 林檎マーク

いったいどうしてこんなことになったのだろう。
毎日毎日同じことを繰り返す。
そんな人生になんの意味があるのだろう、嗚呼、特別な能力もない人間は何を
糧に生きていけばいいのか。
メロンパンナちゃんのお姉さんはロールパンナ、それは幼稚園や小学校に通う
子供達なら熱烈に記憶しているかもしれないが、4年生大学を卒業して人生の
意味を考えている青年、もう四捨五入すると30のおじさんは忘れかけている
事項だった。
人生に意味なんてない、人生の意味を探求することができるのは人間の特権で
あり、贅沢な悩みだとカーネギーは言っているが、そんな慰めは僕には通用し
ない。一瞬気持ちが楽になるけれど、時が経てばすぐに人生の意味つまり生き
ることの意味のような哲学的なことを考え出してしまう。
それはきっと、今の僕にはそれを考えることができる時間があるからなんだと
思うし、時々こんな時間があって自分は贅沢なんだろうとも思う。
忙しくしていればそんなことを考える以前に、解決すべき問題が山積みなのだ
ろう。嗚呼、社会人はとても大変だし、とても偉くてすごくてカッコ良い。
僕は出来る社会人をとても尊敬している。僕には到底真似することができない
ことを彼彼女らは行っている。かといって、ああいうふうに成りたいと思うこ
ともあまりない。俺って、人生に冷めてるのかなあ。



2.茶色い手帳カバー

「ねえ、海外に行っても、私たちのこと忘れないでね。」
そう微笑んで先輩はプレゼントを僕にくれた。先輩は今年40になった人妻で
ありAB型、本音がどこにあるのか全くわからない女性である。40特有のフェ
ロモンを出しており、時々表情に浮かべる悩ましげな表情が僕は好きだが、性
格的相性は、プライベートでは知らないが仕事上では全く合わないであろう先
輩である。血液型性格判断なんてあてにならない、そんなの日本だけだよ、と
いう声を耳にしたことがあるだろうが、僕は血液型性格判断について肯定的で
ある。AB型、それだけでどういうわけか少しレベルが上なように錯覚してしま
う。本来、人間の性質というものは血液型によらず遺伝子や経験に伴ってきま
るものだろう。私の思い込みというものが大部分を占めていること間違いない
のだが。先輩もAB型なのである。
プレゼントの包みを紐解くと、革製の手帳カバーとノートだった。スベスベし
た肌触りで茶色い手帳入れだ。うむ、さすが、良いセンスをしているなあ、と
しみじみ関心し嬉しくなってしまう。僕は先輩と一緒にいた時間、一体何を彼
女に与えることができただろう。いやいやそんな、まだまだ新米の社会人が、
先輩になにかしてあげるだなんて言っちゃいけないと自分を正当化している自
分が情けない。そういうところが、捻くれ坊主なのだろう。そう、僕は、とて
も捻くれているのかもしれない。




次回に続く

2015年4月5日日曜日

オバマケアについて Podcast「ラジオ版学問のすすめ」を聞いて

みなさんこんにちは。 
3月も去り4月になりました。出会いと別れの季節が長く続いていますがどうお過ごしでしょうか。 

今日は本ではなく、Podcastで配信中の「学問のすすめ」で配信されていたジャーナリストの堤未果さんの回に衝撃を受けたのでまとめたいと思います。 

はじめに、どのような回だったかをっくり述べると、44アメリカ大統領バラクオバマ大統領の看板製作の一つだった「オバマケア」の実態についてです 
アメリカ合衆国では格差が大きく広がっており、約1パーセントの富裕層が富を独占している状態であり、以前まで実質的にそんざいしていた中間層も貧困層に吸収されてきているということでした。 

それは日本にも当てはまることではないでしょうか。話は本題に 
オバマケアの前と後ではどう社会が変化したのか。 
堤さんが透き通るはっきりした声で説明していきます。 

まずオバマケアとは、国民全員が保険に入ることを義務付けする政策であるようです。 
その点だけを見れば、日本の国民皆保険制度と同じではないかと思うのですが、オバマケアの政策と比べると日本の皆保険制度がとても恵まれていることがわかります。

アメリカは保険がとても高いために、オバマケアの実施後、元々高額だった保険の価格が2倍になってしまった。語り手の堤さんの知人のケースでは、本人と奥さん、お子さんを入れると8万円だった保険料は日本円で16万円に。 

皆保険制度にしたため、保険をやめると罰金が出る事態になったそうです。1年目に発生する罰金として、1万円と年度の所得の1%を比べて高い方が罰金として課されるんだそうです。

2年目はその掛け率が高くなり、3年目には8%になるらしい。 

最悪の場合、保険にも入れず、かつ罰金が課せられてしまう状態である。 

そんななか、保険会社の利益は上がっており、株価も上昇しているとのこと。 
それはなぜかというと、オバマケアに関する法律を作った人は製薬会社の上層部であることが原因の一つであるとのこと。
法律を制定する際に、有識者会議という会議が存在しており、その有識者会議には回転ドアという概念が存在しており、有識者会議に出入りするメンバーの回転率はとても早いらしい。 
有識者会議には頻繁に製薬会社の上層部が出入りしており、発言権が高いようです。

この有識者会議、第三者の監視が届きにくいようです。

こんかいのポッドキャスト配信を聞いて、本来、低所得層の引き上げを意図すべきであるオバマケアのベクトルは、本来の方向とは全く逆に向かっている印象を受けました。 
PPTで保険の関税撤廃が実現すれば、日本もターゲットになりうるんだそうです。 


自分でちゃんと社会で何が起きているのかを知ろうとすることが大事であるということが大切だと感じましたジャーナリストらしい話の内容だと思いました。 

もう少し、このことについて勉強していけたらいいなと思います。

2015年3月8日日曜日

CLEYMOREの1〜5巻を一気読み。

みなさんこんにちは。

突然ですが、漫画は好きでしょうか。
僕の漫画人生は(それほど漫画好きというわけでもないのですが)ドラゴンボールに始まりました。
その後はワンピースやHUNTER×HUNTER、NARUTOなど、ジャンプ系を多く読んできました。
昨年、JUMP BOOK STOREというアプリをダウンロードしてからは、めっきりスマートフォンやタブレット端末で漫画を読むことが多くなりました。
このJUMP BOOK STOREというアプリ、キャンペーンみたいなものがあり、NARUTOが最終回したときはNARUTO数巻がお試し期間限定で無料で読むことができたり、その他もお試しで読むことができたりと、何かとお試しキャンペーンが熱いのです。

そして今回は、CLAYMOREという漫画の1巻から5巻を無料で読むことができたので、一気に読んでしまいました。
まず、CLAYMOREという漫画の存在すらしらなかった僕は、半信半疑で面白くなかったらすぐ読むのをやめて、日頃親しんでいる数学の本を読もうと思い一巻を読み始めました。
するとなんと、ダークなことか。
最近では、「進撃の巨人」というダークファンタジーがありますが、あれに通じるものを感じました。

主人公の設定がまた男子受けしそうな感じです。
ジブリ系もそうですが、少女の主人公というのは、なぜ心惹かれるのでしょう。

簡単に内容を説明すると、CLAYMOREの世界には、人間と妖魔と呼ばれる人間に化けることができる怪物が存在しています。
この妖魔という怪物は、人間を食らって生きています。
妖魔は人間に比べると強く、肉親をも欺く変身能力を備えています。

そんな妖魔に対抗すべく、人間が作り出した殺戮人間(半分妖魔なのですが)がCLAYMOREなのです。
しかし彼女らは自らをCLAYMOREとは呼びません。CLAYMOREは、人間が彼女たちを呼ぶ時に使う呼称なのです。

一見感情がなさそうに見える主人公クレア。クレア自身、CLAYMOREです。ある村で少年と出会うことで、クレアの心情に変化が訪れるのが読んで感じられます。
そのクレアもまた、過去に辛い経験をしています。

「CLAYMORE」の特徴として、スピーディで迫力のある戦闘シーンが挙げられると思います。華奢な主人公が素早い動きで敵を圧倒していく、ある時はズタズタにされるときもありますが、戦闘シーンの描写はとても迫力があります。
少しグロテスクな描写もあったりするため、血が吹き出るシーンなどが弱い方は控えたほうがいいのかもしれません。
圧倒的な敵の力に怯えるのではなく、立ち向かい生き抜こうとする意志が感じられます。

5巻まで無料でよんだのですが、続きがとても気になります。
購入するには400円必要です。
選択肢は二つ、JUMP BOOK STOREで購入するか、古本屋に足を運ぶかです。



2015年1月25日日曜日

夢をかなえるゾウ2 ガネーシャと貧乏神

みなさんこんにちは。

今日は天気も良く(寒いですが)、久々に家から出ずのんびり部屋で過ごしています。

明日の朝ごはん買いに行かなきゃとか、洗車しなきゃとか、色々することを考えながら、『夢をかなえるゾウ2 ガネーシャと貧乏神』という本を読みました。

この本は前作の続きになります。前作は途中まで読みました。
ガネーシャがとても可愛く面白く、偉人たちの名言を教えてくれます。

今日読んだガネーシャと貧乏神は、貧乏神の幸子さんや死神など、前作のガネーシャと釈迦に加えて新たなキャラクターも登場します。
その中で、貧乏神の幸子さんやガネーシャと生活していき、人間的に成長するというか、心と意識など思考を変化させていくような内容になっていると思いました。

読破して思ったことは、人を喜ばせることと併せて自分も喜ぶことが大事なのではないかと思いました。

よく、「自分のしたいことをしなさい」という言葉を聞くことがあるかもしれませんが、本作を読んでその言葉の本質を読むことができたような気がします。

さらっと読破できたのは、ストーリーにギャクが散りばめられているせいか、作者の手腕のせいか、キャラクターの濃さもあるかもしれません。
特に、金無幸子さんは良い設定でした。

作者である水野敬也さんはどのような人物なのだろう。
会って話がしたくなりました。

自作『夢をかなえるゾウ3 ブラックガネーシャ』も発売されているので、また読んでみたいシリーズです。
ブラックガネーシャ…。今より強烈なキャラ設定の予感です。




2015年1月12日月曜日

ソウル白熱教室 第4回目の感想

みなさんこんにちは。
今日から仕事の方も、明日から仕事の方も、一週間頑張りましょう。

本日は、本ではなくNHKの白熱教室を見ての感想を書きます。
毎回異なる分野の教授たちが行う公開授業を放送している白熱教室。
見たのはソウル白熱教室です。

テーマは「暖かい資本主義」です。
僕は2015年現在20代前半ですが、今後の進路や人生設計について時々考えることについて、面白い視点から意見していたので印象的でした。

第4回目の内容は、若者にとっても、子を持つ親にとっても為になる内容だったと思います。

なので、心に留めておきたいことをまとめておきます。





現代の若者は生きるスキルが乏しい。
というのは、色々なメディアが増え、さまざまなツールで繋がっているが、人々との本当の繋がりは少ないからである。
なかでも、恋愛下手な若者が増えているらしい。
(大学時代に出会った韓国人はそれほど恋愛下手なイメージを抱かなかったけれど、例外的だったのだろうか。)
そのような乏しいスキルを補うために、ナンパを教えてくれる塾が韓国にはあるらしい。
韓国は全て塾で解決する風習が少なからずあるようだ。
だからといって生活のスキルが低下しているというわけではない。

ヘリコプターママ、ヘリコプターパパ
ブラックホークママという用語が存在し、この用語が意味することは全てのことにたいして手助けをする親のことである。
過保護な親ということか。

消費の奴隷となるな!という言葉には、自身そうだと感じた。実際、僕が幼かった頃には車やテレビ、エアコンはすでにあったし、食べるものに困ることはなかった。
たくさん消費することにはあまり興味がない。

韓国の女性は5パーセントしか自分の美貌に満足していない。
現在の韓国の若者の期待値がとても高くなっている。29歳を人生のピークに設定している。
ブランドリテラシーが高いために期待値も高い。

韓国のGDPの77%が10大財閥で占められている。


消費を早く知りすぎた。消費の奴隷になる瞬間、人生の大切なものをなくす。


マシュマロ実験というのがある。
マシュマロを目の当たりにさせ、子供を待たせる実験。
待つことができたらもう一つあげる。
待つことができる子供は少なかった。
この実験から、
成功の秘訣は、欲望を先送りできる能力にある。と言えるらしい。
マシュマロ能力。

多くの親は、良い点数の取り方だけ教えている。マシュマロ能力を教えない。

正直者であれ。

未来を見通す能力を養うことが大切。



なんとなく心に留めておきたい回でした。