2015年4月22日水曜日

夏の色を探しに -(ペンネーム未定)

みなさんこんにちは。
今年から、「夏の色を探しに」という(あるアーティストの楽曲のタイトルでもありますが)タイトルで小説を買ってながら連載しています。
今日はその続きを載せます。


3.深海

 3月31日で仕事を終えた私は今日で仕事が終わりという実感が全くなかった。明日になればまた、なんとなく出勤する感覚であり、上司や先輩達とあたりまえのように顔をあわせるのだという気持ちでいた。「おはようございます。」別段明るく元気な声を出して出勤するわけでもない、これまで当たり前のような朝がもう来ないなんて想像することができないのだ。仕事納めの翌日、お世話になった方々に挨拶をするため会社に向かい、駐車場から会社のドアへ向かう途中、もしかしたら会社へ向かう車内でだったかもしれないが、そこではじめて、もう出勤しないこと、会社の一員ではないことを実感する。とても寂しい感覚がじわじわと沁みてくるけれど、不安ということはなく違和感といったほうがしっくりくる。これまで普通だった「おはようございます」と今日の「おはようございます」は全く違う。「おはようございます」が、別れの挨拶のように感じる。私がそう言い放つのを聞き、それを意識しいているのはどれくらいいるだろうか。少し周りを気にしながら、より一層、手帳カバーをいただいたAB型の先輩に意識が向かう。これからはもう、仕事の関係で連絡を取ったり冗談を言ったり、おちょくられたりすることはなくなるのか、そう思うと少し寂しくなる。先輩はどうだろう、同じように寂しい気持ちでいてくれているだろうか。私より数十年と社会経験を経ているから別れは幾度と経験しているだろうから、もう慣れっこかもしれないと考える私はやっぱりひねくれている。長居は無用と決めていたので、一通り挨拶を終え、AB型の先輩へ近づき様子を伺った。パソコンに向かっていたが私の気配を察したのか、席を立ち微笑で話しかけてきてくれる、とても気の利く先輩だ。あたなはやはり、優しくて我儘で、ちゃんとしています。貴方の元でいろんなことを教わりました。時に厳しく、時に優しくしてくれた、指導もきちんとしてくれた、貴方の指導は愛がありました。ありがとうございます。とても感謝しています。また何処かで、もう会うことはないかもしれないけれど、お元気で、貴方の悩ましげな表情ではなく、満面の笑みがもっと見たかったです。そんな数ある言いたいことを胸にしまいこみ、何気ないやりとりをした後、会社を後にする。外は風が強く少し湿っている。季節は春、今日は天気が良く、雲は空に2割程度。確か空に3割までなら晴れだったかな、と考える。そう、今日の天気は晴れ。もうここに帰ってくることは二度とないのかもしれない。人の出会いは一期一会だ。出会った全ての人を私は愛でているけれど、当人は私を毛嫌いしているかもしれない。そう考えると縁あって出会った人と一旦離れてしまうと再会が難しくなる。たとえそれがとても会いたい人だったとしても、「あの人は今どうしているだろう、元気でやっているだろうか」と考えるだけで実際自分がその人の人生に入り込むことは決してしない。


4.ラジオ

 夜になるといつもの習慣がはじまる。私は平日の夜、ラジオを聴く時間がとても好きだ。ひとり誰にも邪魔されず部屋の中でコンポーネントのスピーカーから流れ出るラジオパーソナリティーの声、合間に流れる音楽、CM、内容はどうあれ、音を聴くという受動的な営みが好きだ。そう、受動的な営み、ということに関して夜は特に受動的になる。朝起きて1日を過ごした疲れがそうさせるのか、または私の内向的な性格がそうさせるのか知らないが、何か作業をしながらでもラジオをつけ、なんとなく耳にするのが思春期からの習慣だ。この世の中には実に多種多様な人間がいる。今私がベッドに横になりラジオを聴いているこの時間、働いている人がいる、友達や恋人に電話をしている人、出産している人だっているだろう。そう考えると世の中というのはなんと不思議なものか、そういった全てのことが地球を動かしているのだ−ラジオを聴いて物思いにふけっていると訳のわからないことを考えてしまう。そんなことを考えていると24:00の時報を告げる音が流れた。ジェットストリーム、ジェットストリーム、ジェットストリーム・・・番組名とゆったりとしたチェロの音色が心地よい。ああ、今日も終わった、ふう。いつもとなんら変わらない明日が、私の目覚めを待っている。いざ行こう、そんな明日へ。ジェットストリームはいつも変わらず放送中だ。


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