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2017年2月4日土曜日

キッチン (自作小説)

皆さまこんにちは。
今年も早くも2月になり、節分は昨日でした。
私の住んでいる沖縄にはもともと、私が幼少期だった頃には、恵方巻を食べる風習は無かったのですが、ここ5〜6年ほど前からでしょうか、昨日は恵方巻がスーパーやコンビニで沢山売られているのを見るようになりました。

本日は短編の物語を書いたので、この場に載せようと思います。



キッチン

 店内は、小鳥のささやきが聞こえる。一見キャパシティはそれほど多くはないような内装だ。ディナーもしているらしい。ワインのボルトがカウンターに並んでおりお洒落な雰囲気を作り出している。午後2時というピーク時はとっくに過ぎているからなのか、通常これくらいの客足なのか、店内には女性客が一人腰を下ろしていた。店の調理師と女性客との会話を聞いていると、常連さんのようだ。そしてまた、調理師の方はというと地元の出身ではなく他県からの移住者であるようだ。他県、私はなぜか他県に憧れを抱いている。なかなか地元が好きになれない性質なのだ。それが何に起因しているのか、幼い頃のトラウマか、もしくはただ沖縄という小さな島に飽きてしまっているせいなのか。結局のところ、地元の環境、空気だったり自然環境だったりが自分自身の身体や精神によくマッチしていることは感じているにもかかわらず、他県に嫉妬しているのだった。沖縄にはモノレールこそあれど、電車がなく、県外へ旅行するとなると飛行機か船を使用しなくてはならない。それがどうも、煩わしくて「県外に住んでいたらな」という思考回路に陥ってしまうのだった。
 そんなことを考えていると、調理師がメニューを持ってきてくれたので、私は肉料理のランチを注文することにした。調理師は女性で、少しふくよかで色白で、そのためか母性的で感じの良い印象だった。「肉料理のランチで。」私が注文すると、調理師はニコッと自然な笑みを表情に浮かべ、メニューを下げ調理場へ向かった。
 日曜にもかかわらず、調理師一人しか見当たらないので、ピーク時も一人で来客をさばくとなると大変だろうなと思った。私は先客の女性に背中を向ける形で、一番奥の二人掛けのテーブルに座って、注文した料理の配膳を待つことにした。5分ほどして前菜が運ばれてきた。私はてっきり小さな器にサラダがのった形で運ばれてくると思っていたのだが、考えていたよりも量が多く、色の違うオリーブ二つがお洒落に串刺しされたものや、白身魚とレタスのムニエル、トマトなどの生野菜が盛られたプレートが配膳された。前菜の彩に感心しつつも、空腹だったためあっという間に前菜を食べ終えてしまった。食事はよく噛んで30分以上かけて食べる方が健康に良いと何かの本で読んだっけ、と反省しながら空になったお膳をテーブルの端へやった。「あの人もう食べ終わってしまったわ」なんて調理師は急いでメインメニューを配膳しなければならないという使命感に追われてはいまいかと心配になってしまう。それから待つ15分ほどしたあと、メインの肉料理が運ばれてきた。この肉料理の正確な名前は覚えていないが、名づけるとすれば「モッツァレラチーズとチキンのグリル」といったところだろうか。想像できないかもしれないので詳しく述べると、オーブンでグリルされたチキンの上にモッツァレラチーズが乗っており、ソースはトマトソース的なやつである。フォークとナイフは使い慣れていないが、いかにもといった手つきでチキンを小さく切り分け、最初の一口を頬張った。ほっぺたが落ちるとは良くできた表現だと思う。チキン一切れを口に入れた数秒後、ほっぺたに刺激が走り、ほっぺたが落ちた。柔らかな食感が舌の細胞を伝って脳まで届き、香ばしいスパイスの香りが鼻を抜けていく。鶏皮のカリカリ感がもう少し欲しかったが、モッツァレラチーズのクリーミーさとチキンの肉汁がよく絡み合っており、とても美味である。2、3口ゆっくりとチキンの細胞組織を細かく嚙み砕き味わっていると。二人の若い女性二人組みが入店してきた。
 20代前半か、もしかすると10代後半と思えなくもない、それくらいの若い女性二人組だった。小鳥のさえずりと、調理師が調理するカチャカチャ、ジュー、という音、フォークとナイフがぶつかり合う音しか聞こえなかった店内の空気に、新しい別の類のものが吹き込まれてきた。彼女らが来店した事により、今まで店内を流れていた雰囲気、たとえば時の流れ、静寂さといったようなものは明らに渦を巻き、乱されていった。誤解を招くようだが決して、それが不快なわけではない。否、はじめは不快だったのかもしれないが、一般的に新しいお客さんが来店したという事は、お店に取っても社会的にも喜ばしい事である。はじめは不快に感じた、というよりも何か違和感を感じたのは、ある種人間的本能の、得体の知れない他者に対する恐れのようなものを感じたからかもしれない。彼女たちは若者らしく、恋の話で盛り上がっている。別に聞きたくて聞いているわけではないが、耳に入ってくるからしょうがない。配膳された私のお皿のチキンとライスは少しずつではあるが確実に、量を減らしていた。前菜こそ素早く食べ尽くしたとはいえ、実は私は小食なのである。ゆっくりとたくさん咀嚼しながらではあるが、完食に向けてしっかりと着実に感触へ向けて歩みを進めていた。若い二人組みの女性たちのテーブルにも注文の品が届けられた。黄色い声が耳に届き、「おいしい!」「おいしいね~」というありがちな感想が聞こえて来る。もしこの時「まずい。」「まずいね~」という感想が聞こえてきた時には、思わず吹き出してしまうかもしれないだろう。そういうコメディ的な要素が実生活の中に最近欠けているような気がして、刺激的な何か、面白い事を求めている自分がいることに、薄々気がつき始めている。この人間的欲求をどのように満たせばよいのであろう。ヒトの三大欲求に食欲、性欲、睡眠欲があるというが、この三大欲求さえ満たす事ができればヒトのよ級は本当に満たされるのだろうか。私より先に来店していた女性客は、一言も喋らず、座っているようだった。私は彼女に背を向けていたので、具体的な様子を述べる事はできないが、静かに座っていた事は確かだった。
若い女性たち二人も、次第に話題が尽きてきたのか、会話が少なくなってきてきた。
 少しずつ、店内には小鳥のさえずりと調理師の仕事をする時の音が聞こえるようになり、静寂な森の中にいるかのような空気がよみがえってきた。まさに私が来店し間もない頃の雰囲気に戻りつつある頃、私は最後のライスひと口分を食べ終えた。完食できた事への満足感と、お腹が満杯になったことで少し息苦しさを感じ、喉の渇きも感じた。ランチには食後に紅茶が出されるはずだ。前菜を食べ終えた時と同じように食器類をテーブルの端へ移動させ、食べ終えた事をアピールし、そろそろ紅茶が運ばれてきても良い頃合いだということを暗に訴える事にした。その訴えが調理師に届いたのか、しばらくすると紅茶が運ばれてきた。カップ一杯の紅茶だと思っていたが、やってきたのは透明なポットとティーカップだった。気分的にはイギリス王室御用達のカップでティータイムといった気分だった。カップ一杯分飲み干したところで、もう十分に感じたのだが、出されたものは全て飲み干したいという意地が邪魔をして、結局のところポットに入っている紅茶を全て飲み干すのにカップ3杯分の紅茶を飲む事になった。もうこれ以上は何もいらないと感じ、少し胃を休ませてから会計をしようと考えた。あいかわらず、私より先に来ていた常連さんらしい女性は座ったままである。女性客3人に対して男性である私は一人。調理師も女性ときている。今更ながら、私がこの場所にいる事が少し場違いなような気がしてきて、早くお会計を済ませて店を出たいという思いが強くなってきていた。しかし調理師はなかなか姿を見せない。この静寂さを乱してまで調理師を呼ぶ勇気は今この瞬間に持ち合わせてはいなかった。調理師が姿を見せるまで、少し待ってみる事にした。テーブルにある空になった食器を片付けに来てくれるかもしれない。その間私はBBCのニュースアプリで英文記事を読み始めた。最近はもっぱらアメリカ新大統領の話題で持ちきりである。どこかの国の国境に壁を作って移民の入国を阻止するために大きな長い壁を作るんだそうだ。それも、壁を作る費用はアメリカは支払わないときている。なんとラジカルな大統領なのだと批判したくなった。
 BBCニュースの記事をひとつ読み終えた頃、調理師が若者女性二人組みのテーブルにある空になった皿を下げに来た。「今しかない」お会計のチャンスである。少し背筋を伸ばし、調理師の顔に視線を向けた。言葉はいらなかった。視線を投げかけるだけで反応してくれた調理師に心中感謝し、勘定のジェスチャーをした。勘定のジェスチャーといえばいくつかあるようだが、両手の人差し指でバッテンを作るジェスチャーを使った。その後調理師についていき、レジ前まで進み会計を行った。「¥1,380です。」ランチとしてはまあまあ、妥当かそれ以上の値段だと思った。私は一万円札を最近購入した長財布から抜き出し、レジ前の札置きに開げて置いた。
「一万円からでお願いします。」
「はい。」
と答えた調理師の顔に一瞬ためらいの表情が見えた。本当に一瞬だったので、見落としていたかもしれなかったが、私は確かに彼女の表情が一瞬曇ったのを見逃さなかった。なぜ調理師の顔が曇ったのかすぐに判明した。札置きのちょうど左側に、「お会計にはできるだけ千円札でお願いします」と書かれたポップが掲げられていた。個人経営のため両替までなかなか手が回らないのだろう。自分の視野の狭さと気の利かなさを一瞬呪いつつ、
「千円札ありますが、千円で払ったほうがいいですか?」
と調理師に尋ねた。
「はい。そうしていただけると助かります。」
と調理師は特に困惑した表情も見せずに自然に答えた。私は幸運にも千円札と小銭をいくらか持っていたので、先ほど置いた一万円札を長財布に戻し、代わりに千円札と小銭を札置きに置いた。
「二十円のお釣りですね。ありがとうございました。」
と調理師は言った。改めて調理師の顔を見てみると、やっぱり感じの良い、母性的な女性だった。「ごちそうさまでした。美味しかったです。」と言って、お店を後にした。

 一月にもかかわらず、今日の気温は二十四度と汗ばむ陽気である。空は快晴、心地よい風が吹いている。このお店にはまた来るのだろう。駐車場がもう少し広ければ良いのになと、心の中で店に向かって愚痴を言い、次なる目的地へ向かうために車の駐めてある駐車場へと向かった。

2015年10月31日土曜日

陽気な日 (自作小説) 昼2


みなさんこんにちは。
今日は土曜日で仕事がお休みなので、前回の続きを書いていこうと思います。



昼2


この出店では、ドライフルーツを売るらしく、ディスプレイには多くのドライフルーツが所狭しと並べてある。せっせと準備をする若いお兄さんを見て、「頑張ってるなあ」と思った。

小一時間近くのショッピングセンターで時間を潰した。大きなショッピングモールで、衣食住に必要なものなら全てそろえることができそうなショッピングセンターである。世の中物質的には豊かになったと思うが、消費をとおして感じることのできる幸福感には限りがあるという。
経済指標、株価、成長率を土台にした資本社会で何を幸せの基準にするのか問われたとき、消費という答えが返ってくるのはある意味、必然的なものなのかもしれない。

大型テレビ、高級セダン、高級セダンといえば、ショッピングモールの広場で高級車が2台並んで展示されていた。一体どこから店内に入れたのだろうと訝しく思い、あれほど高級ではなくとも、一度はスポーツカー、今だったらモデルチェンジしたTOYOTA86に乗ってみたいなあとも思った。展示されている高級車の脇をとおり、さきほどの出店がある通りへ戻ってみると、各店舗準備が終わったらしく、ざっと数えて10店舗ほどの出店が軒を連ねていた。

目についたのはスペインのパエリア料理、サトウキビから絞った搾りたて果汁100パーセントジュース、揚げたてチュロス屋さんや中華料理のテイクアウェイができるお店などで、国際色豊かである。

彼女と合流したら、何か買って一緒に食べようかな、と勝手に予定を立て、そろそろ彼女の仕事場の最寄り駅まで行くことにした。
チャッツウッドから一つ離れたアーターモン駅に着き、メッセンジャーで駅に着いたことを告げるメッセージを書いた。彼女に会うためには、シティからチャッツウッドか、今いるアーターモン駅まで来なければならない。彼女が私の住んでいるシティまで来てくれることもある。同棲していないため、時間をかけてお互いのいる場所まで足を運ぶ必要があった。同棲するかと尋ねたこともあったが、今のオウンルームが快適だということで、今以上の条件がそろわなければ引っ越したくないと言われていた。そんな我儘は、一緒に住むことができれば多少快適さが劣るとしても、妥協できるのではないかと心の中で思ったが、先日彼女の住むオウンルームを訪ねて実際過ごしてみると、彼女の言い分が少しわかったような気がした。

シドニーの不動産事情はというと、一年で不動産価格が10パーセントずつ上昇しているらしい。家を買うことができるのは、よほどのお金持ちということだ。賃貸契約においても、家賃は高く、私が住んでいるシティ内のシェアルームでも、1週間$130、つまり一か月4週間で考えると、$520もかかるのである。郊外では少し安くなり、自分の部屋を持つことができるオウンルームの契約でも、彼女の場合は1週間$165という破格の値段で賃貸していた。それに加えて、閑静な住宅街に位置しているため、周りは静かで治安も良い場所であり、条件も良かった。。
インターネットでカップル可能な物件を数週間探してみたものの、なかなか良い条件の物件がみつからず、半ばあきらめかけている。

アーターモン駅はまさに郊外、というような感じの駅だと思う。駅を出てすぐのところに、パン屋さんがあり、そこの店員の愛想がよく、気に入っている。メッセージの返信があるまで、このパン屋さんでブルーベリースコーンを買って食べながら待っていようと思い、店内へ入った。「なににしますか?」的なことをまさにネイティブのオーストラリアンに聞かれる。オーストラリアンのことをオージーというらしい。その事実を知ったのは、ここ最近のことである。このパン屋さんの店員は、おそらく、高校生くらいの地元の女の子、といった感じである。

にこやかな少女の対応に、おのずと私も顔の緊張がとれ、にこやかになる。「ブルーベリースコーンをお願いします。」と答え、望みの商品を注文した。5、6歳は年下だと思われる少女のほうが私よりもきっと人付き合いが上手だろうなと、思う。自然な笑顔、友好的な態度、どれも私の苦手とするものである。見知らぬ人、親しくしている人の前でさえ、なかなか自分の感情を素直に表現することが不得意なところが私にはある。なので、パン屋の少女のように無垢な笑顔を向けられると、安心感というかハニカミが生まれ、心地よくなるのだ。この心地よさが、このパン屋を好きになった理由なのかもしれない。


スコーンを買い店を出て、食べようと包みから出そうとしていると、彼女からの返信が届いた。「暇すぎて、もう帰れることになった」との内容である。そうか、そんなに暇なのか、と半ば感心し、スコーンがお預けになった口惜しさと、一日の残りを彼女と一緒に過ごすことができる嬉しさを感じ、彼女の待つ場所へと急いだ。

2015年10月18日日曜日

陽気な日 昼 (自作小説)

みなさんこんにちは。
今日も自作小説、小説というかエッセイのような感じになっていますが、書いていこうと思います。
余談ですが、MacBook Airを使用して書いているのですが、os x el capitanにアップデートしたためか、勝手に漢字に変換する機能が追加されたのか定かではありませんが、この機能のおかげでタイピング速度が速くなったような気がしました。
el capitanについても別のブログでまとめられたらなあと思っています。




私がチャッツウッドに向かうのにはいくつか理由があるのだが、まず彼女に会いに行くためである。同棲していないため、少しの時間でも会いたいという気持ちが働き、彼女の仕事の空き時間や、仕事が終わる夜遅くにも頻繁にチャッツウッドに通うことが多くなっていた。

シティからチャッツウッドまで、ウィンヤード駅から約25分、普通列車だと最大でも30〜35分程度で行くことができる。

ぽかぽかした土曜日ということもあり、6月7月に比べて人通りが多くなっていることに気づく。ほとんどの通行人がサングラスをかけ、男性は半袖に短パン、ある女性はノースリーブを身につけ胸元を大胆に開けている人も見られる。
日本に比べて、肌の露出が多いな、と少し気に留めながら歩いてウィンヤード駅へ向かった。

電車に乗り込むと、心地よい空調の冷気が皮膚に触れる。座席を探し、丁度良さそうな席へ腰掛け、スマートフォンを眺めた。

メールが数件、ほとんどが登録してあるサイトの通知だったり、フェイスブックの投稿である。ミートアップへ参加するかどうかを確認する出欠確認のメールが少し気になったが、とりあえず削除はせずに残しておくことにした。

2週間前に参加したミートアップと同じものであり、この間参加した時はベトナム人や韓国人、インド人といった他国の人たちと、お酒を飲みながら英語で交流することができた。

その中にはテンションの高い韓国人女性がおり、あまりハイテンションになることがない私は、新鮮で多少楽しい時間を過ごすことができたので、気が向いたら再度参加してみようと思っている。

必要のないメールを削除し終わった頃、窓の外を眺めると、ハーバーブリッジを通過するところだった。空にはポツリ、ポツリと雲がふわりと浮いている。上空には青い空、橋の下には青い海、青い色は好きである。オペラハウスは見えないかと、探してみたが、一般車両が通行する一般道に隠れて見ることができなかった。まあ、そんなにうまく見えないよな、と思いながら、再びスマートフォンに意識を向ける。

世の中便利になったものだ。何冊も本をカバンの中に入れて持ち運ばなくても、スマホ一台あれば、読むことができる。
紙媒体の方がしっくりくる、という人もいるが、場所を問わずに好きな書物を読むことができることは素晴らしいことであると思う。

数字の0と1の世界、コンピューターの世界をもっと知りたいと最近考える。パソコンは、2進法しか理解できないらしい。その理由など、何かのサイトで見たが、忘れてしまっていた。人間の脳は、何かと忘れっぽいようだ。
長期記憶にするためには、人に説明出来るくらいにならなければいけないらしい。

いろんな本を読んできたが、読んだもの全てを説明出来るほど私の頭は高性能ではないようだ。
ハーバーブリッジを通過し、3駅ほど郊外の駅を通り、いよいよチャッツウッドへ到着した。

電車を降り、エスカレーターで階下に向かい、改札をくぐる。改札の向こうにはMcDonald’sやブレッドトップ、寿司屋などの店舗が並んでいる。アジア人が多く、シティと比べると清潔感のある町である。お腹がなり、空腹を覚えたので、ブレッドトップでパンを3つほど買った。

「さて、彼女の昼休みまで何をして過ごそうか…。」と考え、いつものように、良さそうなカフェで時間を過ごすことにした。
ブレッドトップのある通りから、大きなショッピングモールのあるストリートへ向かう。ビクトリアアベニューは両脇にカフェやデザートショップなどが並ぶストリートで、中央にはベンチやちょっとしたスペースがあり、時々各国の出店が出店することもある、素敵なストリートである。

今日も出店があるらしく、中東っぽい出で立ちをした男性が、テントの準備をしていた。


<つづく>

2015年10月3日土曜日

陽気な日 (自作小説)

みなさんこんにちは。

日本はもう秋でしょうか。
オーストラリアシドニーは、だんだんと夏の陽気になっています。

今日は短編小説を書きます。






私は今オーストラリアにきている。ワーキングホリデーという制度を利用し、勤めていた会社を辞め、一世一代の大冒険へ乗りだそうと意気込んで来てみたのは良いものの、近頃シティでの生活に飽きを感じ始めていた。
オーストラリアの都市シドニーで生活をはじめてから早くも3ヶ月が経っていた。シティは人が多く、必需品や奢侈品もなんら困ることなく買うことができる。また、シティにはパブが多く点在しており、徐々に暖かくなってくる9月を境に、日中からパブでお酒を嗜みながらお喋りをする人々もみられるようになってきた。
天気予報によると、季節的には春というのにもかかわらず、異様に気温が上がるらしい。最高気温は33度、ということだった。暑いのが苦手な私は、すこし気持ちが萎え、春でこの気温なら、真夏はどれくらい気温があがるのだろうかと、先のことに不安を覚えた。
20代も後半を迎え、昔に比べて時間の経過が早く感じられるようになり、休みの日を怠惰に過ごすことが罪に感じられるようになってからというもの、午前中の時間に勉強や用事などを済ませないと気持ちが落ち着かないようになっている。
なので週末は、9時までには身支度を整え、カフェや図書館で過ごす習慣ができている。今日もその習慣どおり、ビューティーアンドユースのトレザーとコムサイズム七分袖のVネックTシャツに、高校卒業祝いに父親からもらった腕時計と、お気に入りのブレスレットを身につけ、州立図書館(state of library NSW)へ向かった。住んでいるアパートメントを出ると、心地よい日の光が体中に当たった。午前中ということもあり、まだ人の流れは緩やかで、比較的落ち着いた雰囲気だ。
通りを歩いて図書館へ向かう。向こうから歩いてくる人々を観察しながら、てくてくと歩を進める。視界に入るのは、ビル、車、カフェ、チャイナタウン、道行く人々だ。シドニーはなんだかごちゃごちゃしていると私は思う。オーストラリアは移民の国とは良く聞くが、確かにアジア系住民、特に中華系勢力は強いように感じる。
爽やかな風を肩に感じながら歩いて行くと、徐々に体が汗ばむのを感じ始めた。肩掛けのボストンバッグにはMacBook Airと財布、日本のスタバで購入した水筒、小銭入れが入っており、小柄な私には少々重く感じられるほどである。そのため、2キロほど歩いた後、バスに乗ることにした。シドニーではオパールカードという公共交通機関で利用できるプリペイド式カードがある。日本のSuicaやPASMOのようなもの、といえばピンとくるだろうか。このカードは週に8回利用すると、次の乗車では運賃が無料になるというシステムが採られている。例えば、月曜から木曜までで各日2回ずつ利用すれば、木曜日の往復までで合計8回利用したことになり、金曜日からは無料でパスや電車、フェリーまで無料で乗車することができる。
仕事上、金曜日までに8回利用する私は、毎回週末になると無料で交通機関を利用することができるこのシステムが大変気にいっている。なんだか得した気分になるのだ。このシステムは、日本と違って休日は外出することが少ないらしいオーストラリアの住民を、なんとか外出させようと試みる政府の政策らしい。確かに、休日のシティは、少し人が少ない気がする。人ごみが嫌いな私は、休日、特に土日の早朝が大好きだ。
バス停に辿りつき、バスを待つ間、フェイスブックのメッセージを確認する。彼女からのメッセージが3件。嬉しくなって読むと、「昨日は飲み過ぎて眠たい」とか「今日も仕事だ」とか「今日も会いたいね」との文章が目に入る。「うん、今日も仕事がんばって」「はやく会いたいね」と返信し、バスを待った。バスが到着して乗り込んだ。オーパルカードを電子機器にタッチし、座席を探す。高齢者専用の座席しか空いておらず、すこし座るのがためらわれたが、お年寄りはいないこともあり席に座った。向こう側の席にはブロンドのいかにもオージーらしい若い女性が座っていた。サングラスをかけ、ノースリーブで色の白い白人女性だ。外見から判断するとやはりおそらく、オーストラリアでの生活が長いのではないかと想像出来る。乗車して10分足らずで、州立図書館近くのバス停まで到着した。そのバス停で下車し、250メートルほど徒歩で残りの道を行く。道中、ローカルのカフェがあり、美味しそうなサンドイッチや、店外に設置されてある座席で朝食を取る人たちを羨みながら足を進めた。
図書館に着くと、併設されているカフェに向かい、ロングブラックとハムサンドイッチを注文して食べることにした。カフェの店員は、彼女が話す言語から判断するにタイ人らしい。私が抱くタイ人のイメージは、フレンドリーで親切、だ。「こんにちは。ご機嫌いかが?」と、注文する際に買わされる一般的な定型文が店員から発せられる。「ロングブラック一つと、ハムサンドイッチを一つください。」と私は店員に言った。しかし女性が持ってきたサンドイッチは、私が望んでいたものとは異なるものだったので、「それではなく、これです。」と指を指して言うと、理解したらしく「10ドルです。」と女性店員。「持ち帰り?」と聞かれ、実際は店内で食べるつもりだったが「持ち帰りで。」と応えた。ドリンクとサンドイッチで10ドル。まあ、物価の高いオーストラリアでは妥当な値段である。注文したサンドイッチには、ハムとトマトとチーズが挟まれている。なかなか美味しかった。

12時まで図書館に併設されているこのカフェで勉強した後、私はシティの北、ハーバーブリッジを超えたところにあるチャッツウッドという町へ向かうことにした。


<つづく>

2015年6月20日土曜日

夏の色を探しに -(ペンネーム未定)

みなさんこんにちは。
今年から、「夏の色を探しに」という(あるアーティストの楽曲のタイトルでもありますが)タイトルで小説を勝手ながら連載しています。
今日はその続きを載せます。

草稿のつもりでとりあえず書いていき、出来上がり次第編集を加えてまとめて載せようと考えています。


5.人気店 (前期に続き)

 会社はお昼休みで、オフィスに入るとラジオからはお昼のニュースが流れていた。数人の顔なじみに挨拶をし、課長のデスクへと向かう。課長からのお誘いに乗じたとはいえ、一度会社を辞めた人間である僕は、以前まではあたりまえのように出社していたこのオフィスにいることが場違いのような気がしてならなかった。しかしそれは単に僕が考えすぎているからで、かつての同僚たちは僕が会社を辞めたことに関して、それほど気にも留めていないかもしれない。とはいってもやはり、人間というもの、辞めたところに顔を出すのはいささか気力を要することではあるだろう。
「おはようございます。課長。」
日本では、職場に出社したときは昼夜問わず「おはようございます」と挨拶をする慣習になっている。この習わしはどういう経緯でいつ頃はじまったのだろう。
「ああ、待ちわびたよ。」
5分前に着いたのだが、課長は待ちわびていたらしい。少し疲れているように感じた。
「早速だけど、出発しようか。」
僕は了承し、辞める前に使用していたデスクを眺め、かつての同僚たちに会釈をしてオフィスを後にした。AB型の先輩はオフィスにいなかったので課長に聞いてみると、外回りをしているらしい。なにやら、大きな仕事を任されているようだ。私が勤めていた頃から、先輩は課長から大きな信頼を得ていた。女性という立場上、オフィスでそれほど存在感を感じさせない先輩だが、仕事に向き合う姿勢や仕事の質、それだけではないが「仕事のできる人」だった。それは単に私の直列の先輩だったからというのではなく、誰から見てもそうだった。
もしかすると私は、先輩の下で働いたがために会社を辞めたのかもしれない。というのは、できすぎる上司の元で働く部下は、上司の背中が遠すぎて自分の自信を無くしてしまうという記事を読んだからだった。
店まで公用車で向かうことにし、運転席に座った。運転すること15分後、お店の駐車場に車を止めた。
お店の前には6名ほど列ができていた。
「平日なのに列ができるお店がこの辺にあったなんて知りませんでした。人気なんですねえ。」と僕は言う。
「この街でつけ麺といったら、この店が一番だと思うよ。」
と課長は少し嬉しそうに言った。


<次回に続く>

2015年4月28日火曜日

夏の色を探しに -(ペンネーム未定)

みなさんこんにちは。
今年から、「夏の色を探しに」という(あるアーティストの楽曲のタイトルでもありますが)タイトルで小説を勝手ながら連載しています。
今日はその続きを載せます。

草稿のつもりでとりあえず書いていき、出来上がり次第編集を加えてまとめて載せようと考えています。




5.人気店

明くる朝、私はお昼頃になってようやく寝床からでて活動する意思が芽生えてきたので、上半身裸になり髪を濡らして洗顔をすることにした。
風呂場に備え付けてある鏡は曇っているにもかかわらず、ある程度引き締まった腹筋をいつものように確認することができた。あと少し肉付きが良く筋肉質だったらいいのにと、理想と現実が乖離していることにわざわざ落ち込む。
今日は夕方からフェルメールの画展に出かけることになっているのだが、それまでだいぶ時間がある。暇があると私は本を読むか、ギターを弾くか、横になって漫画を読むか、資格試験の勉強をするかのいずれかである。
どれを行うかはその日の気分次第−−−私の脳はギターを選択した。本棚に立てかけてあるアコースティックギターを手に取り椅子に座った。4年前に買った3本目のギターであり、アンプに繋げることもできるピックアップ付きのエレアコだ。それほどメジャーなメーカーの製品ではないが、フレットと弦の間隔が丁度良く手に馴染んでいた。音色には満足していなかったが、3本の中で一番使用頻度の高いギターを私は「サニー」と呼んでいた。サニーという名前は彼女がつけたもので、理由はなんだったっけ−−−今日の画展で聞いてみようか。そんなことを考えながらバッハの練習曲に苦戦していると、離職したばかりである会社の課長から電話がかかってきた。
「はい、もしもし青田です。」
仕事上、なにかやり残したことでもあったかと不安な思いを巡らしながら応答した。

「青田さん、ラーメン好きだったでしょ、今から前話したつけ麺屋にいってみないか。」

食事の誘いに安堵した私は誘いを受けた。課長は近頃つけ麺の魅力に目覚めたらしく、私がラーメン好きだとわかるとおすすめのお店を地図までつけて紹介してくれた面倒見の良い課長である。もう会うことはないと思っていたのだが、その予想は早くも裏切られた。私は抱えていたギターを元置いてあった場所へ戻した。ギターにはうっすらと埃の膜がかかっており、もっと手入れをしてくれと言わんばかりの雰囲気を出している。そういえば、昔程には手入れをしなくなっていた。音楽への興味関心が以前と比べて薄れているのを感じ、少し悲しくなった。そうやって時が経つにつれて冷めてゆく自身にもどかしさを感じる。今から食べに行くつけ麺だって、何度も食べているうちに美味しいという感情は薄れていくのだろう。ならなおさら、今日のつけ麺を味わっていただこう。埃かかったギターが私を見上げているのをよそに、服を着替えて家を出た。庭に植えてある名を知らない花の周りを一匹のミツバチが弧を描いて飛んでいた。蜂は黒い色に反応するんだっけ、と少し恐怖しながら、私はミツバチの進路に注意して離職したばかりの会社へ向かった。今日も相変わらず、からっとした良い天気だった。

2015年4月22日水曜日

夏の色を探しに -(ペンネーム未定)

みなさんこんにちは。
今年から、「夏の色を探しに」という(あるアーティストの楽曲のタイトルでもありますが)タイトルで小説を買ってながら連載しています。
今日はその続きを載せます。


3.深海

 3月31日で仕事を終えた私は今日で仕事が終わりという実感が全くなかった。明日になればまた、なんとなく出勤する感覚であり、上司や先輩達とあたりまえのように顔をあわせるのだという気持ちでいた。「おはようございます。」別段明るく元気な声を出して出勤するわけでもない、これまで当たり前のような朝がもう来ないなんて想像することができないのだ。仕事納めの翌日、お世話になった方々に挨拶をするため会社に向かい、駐車場から会社のドアへ向かう途中、もしかしたら会社へ向かう車内でだったかもしれないが、そこではじめて、もう出勤しないこと、会社の一員ではないことを実感する。とても寂しい感覚がじわじわと沁みてくるけれど、不安ということはなく違和感といったほうがしっくりくる。これまで普通だった「おはようございます」と今日の「おはようございます」は全く違う。「おはようございます」が、別れの挨拶のように感じる。私がそう言い放つのを聞き、それを意識しいているのはどれくらいいるだろうか。少し周りを気にしながら、より一層、手帳カバーをいただいたAB型の先輩に意識が向かう。これからはもう、仕事の関係で連絡を取ったり冗談を言ったり、おちょくられたりすることはなくなるのか、そう思うと少し寂しくなる。先輩はどうだろう、同じように寂しい気持ちでいてくれているだろうか。私より数十年と社会経験を経ているから別れは幾度と経験しているだろうから、もう慣れっこかもしれないと考える私はやっぱりひねくれている。長居は無用と決めていたので、一通り挨拶を終え、AB型の先輩へ近づき様子を伺った。パソコンに向かっていたが私の気配を察したのか、席を立ち微笑で話しかけてきてくれる、とても気の利く先輩だ。あたなはやはり、優しくて我儘で、ちゃんとしています。貴方の元でいろんなことを教わりました。時に厳しく、時に優しくしてくれた、指導もきちんとしてくれた、貴方の指導は愛がありました。ありがとうございます。とても感謝しています。また何処かで、もう会うことはないかもしれないけれど、お元気で、貴方の悩ましげな表情ではなく、満面の笑みがもっと見たかったです。そんな数ある言いたいことを胸にしまいこみ、何気ないやりとりをした後、会社を後にする。外は風が強く少し湿っている。季節は春、今日は天気が良く、雲は空に2割程度。確か空に3割までなら晴れだったかな、と考える。そう、今日の天気は晴れ。もうここに帰ってくることは二度とないのかもしれない。人の出会いは一期一会だ。出会った全ての人を私は愛でているけれど、当人は私を毛嫌いしているかもしれない。そう考えると縁あって出会った人と一旦離れてしまうと再会が難しくなる。たとえそれがとても会いたい人だったとしても、「あの人は今どうしているだろう、元気でやっているだろうか」と考えるだけで実際自分がその人の人生に入り込むことは決してしない。


4.ラジオ

 夜になるといつもの習慣がはじまる。私は平日の夜、ラジオを聴く時間がとても好きだ。ひとり誰にも邪魔されず部屋の中でコンポーネントのスピーカーから流れ出るラジオパーソナリティーの声、合間に流れる音楽、CM、内容はどうあれ、音を聴くという受動的な営みが好きだ。そう、受動的な営み、ということに関して夜は特に受動的になる。朝起きて1日を過ごした疲れがそうさせるのか、または私の内向的な性格がそうさせるのか知らないが、何か作業をしながらでもラジオをつけ、なんとなく耳にするのが思春期からの習慣だ。この世の中には実に多種多様な人間がいる。今私がベッドに横になりラジオを聴いているこの時間、働いている人がいる、友達や恋人に電話をしている人、出産している人だっているだろう。そう考えると世の中というのはなんと不思議なものか、そういった全てのことが地球を動かしているのだ−ラジオを聴いて物思いにふけっていると訳のわからないことを考えてしまう。そんなことを考えていると24:00の時報を告げる音が流れた。ジェットストリーム、ジェットストリーム、ジェットストリーム・・・番組名とゆったりとしたチェロの音色が心地よい。ああ、今日も終わった、ふう。いつもとなんら変わらない明日が、私の目覚めを待っている。いざ行こう、そんな明日へ。ジェットストリームはいつも変わらず放送中だ。


2015年4月8日水曜日

夏の色を探しに - (ペンネーム未定)

⒈ 林檎マーク

いったいどうしてこんなことになったのだろう。
毎日毎日同じことを繰り返す。
そんな人生になんの意味があるのだろう、嗚呼、特別な能力もない人間は何を
糧に生きていけばいいのか。
メロンパンナちゃんのお姉さんはロールパンナ、それは幼稚園や小学校に通う
子供達なら熱烈に記憶しているかもしれないが、4年生大学を卒業して人生の
意味を考えている青年、もう四捨五入すると30のおじさんは忘れかけている
事項だった。
人生に意味なんてない、人生の意味を探求することができるのは人間の特権で
あり、贅沢な悩みだとカーネギーは言っているが、そんな慰めは僕には通用し
ない。一瞬気持ちが楽になるけれど、時が経てばすぐに人生の意味つまり生き
ることの意味のような哲学的なことを考え出してしまう。
それはきっと、今の僕にはそれを考えることができる時間があるからなんだと
思うし、時々こんな時間があって自分は贅沢なんだろうとも思う。
忙しくしていればそんなことを考える以前に、解決すべき問題が山積みなのだ
ろう。嗚呼、社会人はとても大変だし、とても偉くてすごくてカッコ良い。
僕は出来る社会人をとても尊敬している。僕には到底真似することができない
ことを彼彼女らは行っている。かといって、ああいうふうに成りたいと思うこ
ともあまりない。俺って、人生に冷めてるのかなあ。



2.茶色い手帳カバー

「ねえ、海外に行っても、私たちのこと忘れないでね。」
そう微笑んで先輩はプレゼントを僕にくれた。先輩は今年40になった人妻で
ありAB型、本音がどこにあるのか全くわからない女性である。40特有のフェ
ロモンを出しており、時々表情に浮かべる悩ましげな表情が僕は好きだが、性
格的相性は、プライベートでは知らないが仕事上では全く合わないであろう先
輩である。血液型性格判断なんてあてにならない、そんなの日本だけだよ、と
いう声を耳にしたことがあるだろうが、僕は血液型性格判断について肯定的で
ある。AB型、それだけでどういうわけか少しレベルが上なように錯覚してしま
う。本来、人間の性質というものは血液型によらず遺伝子や経験に伴ってきま
るものだろう。私の思い込みというものが大部分を占めていること間違いない
のだが。先輩もAB型なのである。
プレゼントの包みを紐解くと、革製の手帳カバーとノートだった。スベスベし
た肌触りで茶色い手帳入れだ。うむ、さすが、良いセンスをしているなあ、と
しみじみ関心し嬉しくなってしまう。僕は先輩と一緒にいた時間、一体何を彼
女に与えることができただろう。いやいやそんな、まだまだ新米の社会人が、
先輩になにかしてあげるだなんて言っちゃいけないと自分を正当化している自
分が情けない。そういうところが、捻くれ坊主なのだろう。そう、僕は、とて
も捻くれているのかもしれない。




次回に続く