2015年4月28日火曜日

夏の色を探しに -(ペンネーム未定)

みなさんこんにちは。
今年から、「夏の色を探しに」という(あるアーティストの楽曲のタイトルでもありますが)タイトルで小説を勝手ながら連載しています。
今日はその続きを載せます。

草稿のつもりでとりあえず書いていき、出来上がり次第編集を加えてまとめて載せようと考えています。




5.人気店

明くる朝、私はお昼頃になってようやく寝床からでて活動する意思が芽生えてきたので、上半身裸になり髪を濡らして洗顔をすることにした。
風呂場に備え付けてある鏡は曇っているにもかかわらず、ある程度引き締まった腹筋をいつものように確認することができた。あと少し肉付きが良く筋肉質だったらいいのにと、理想と現実が乖離していることにわざわざ落ち込む。
今日は夕方からフェルメールの画展に出かけることになっているのだが、それまでだいぶ時間がある。暇があると私は本を読むか、ギターを弾くか、横になって漫画を読むか、資格試験の勉強をするかのいずれかである。
どれを行うかはその日の気分次第−−−私の脳はギターを選択した。本棚に立てかけてあるアコースティックギターを手に取り椅子に座った。4年前に買った3本目のギターであり、アンプに繋げることもできるピックアップ付きのエレアコだ。それほどメジャーなメーカーの製品ではないが、フレットと弦の間隔が丁度良く手に馴染んでいた。音色には満足していなかったが、3本の中で一番使用頻度の高いギターを私は「サニー」と呼んでいた。サニーという名前は彼女がつけたもので、理由はなんだったっけ−−−今日の画展で聞いてみようか。そんなことを考えながらバッハの練習曲に苦戦していると、離職したばかりである会社の課長から電話がかかってきた。
「はい、もしもし青田です。」
仕事上、なにかやり残したことでもあったかと不安な思いを巡らしながら応答した。

「青田さん、ラーメン好きだったでしょ、今から前話したつけ麺屋にいってみないか。」

食事の誘いに安堵した私は誘いを受けた。課長は近頃つけ麺の魅力に目覚めたらしく、私がラーメン好きだとわかるとおすすめのお店を地図までつけて紹介してくれた面倒見の良い課長である。もう会うことはないと思っていたのだが、その予想は早くも裏切られた。私は抱えていたギターを元置いてあった場所へ戻した。ギターにはうっすらと埃の膜がかかっており、もっと手入れをしてくれと言わんばかりの雰囲気を出している。そういえば、昔程には手入れをしなくなっていた。音楽への興味関心が以前と比べて薄れているのを感じ、少し悲しくなった。そうやって時が経つにつれて冷めてゆく自身にもどかしさを感じる。今から食べに行くつけ麺だって、何度も食べているうちに美味しいという感情は薄れていくのだろう。ならなおさら、今日のつけ麺を味わっていただこう。埃かかったギターが私を見上げているのをよそに、服を着替えて家を出た。庭に植えてある名を知らない花の周りを一匹のミツバチが弧を描いて飛んでいた。蜂は黒い色に反応するんだっけ、と少し恐怖しながら、私はミツバチの進路に注意して離職したばかりの会社へ向かった。今日も相変わらず、からっとした良い天気だった。

2015年4月25日土曜日

異邦人 - カミュ

みなさんこんにちは。
そろそろゴールデンウィークがはじまりますね。

今僕が働いている沖縄のホテルは、さぞかしお客さんが増えるのでしょう。
県外の方や外国からお越しになる方が多くいます。

今日は買ったはいいけれど本棚に眠っていた一冊を読破したので感想を書きたいと思います。
アルバート・カミュの著書である『異邦人』を読破しました。
高校生くらいの頃からカミュという作家がいることは知っており、『異邦人』という本があることも知っていましたが、ようやく、読み終えることができました。





読み終える、と言ってもそれほど長編というわけではなく、新潮文庫から出版されている窪田啓作訳のものを読みました。
本編のページ数は127ページ。
読み始めると中断する気になれず、一気に読むことができました。

やはりこの物語の中心はムルソーといえるでしょう。
母の死の後に人を殺してしまい、人を殺した理由を彼ムルソーの言い分では「太陽のせい」だという彼の理性や性格、思考がうまく描写されていると思いました。
ムルソーはアラビア人を一人殺してしまうのですが、その時の自然、つまり浜辺や太陽、海などに神秘的なものを感じました。
私のなかでは未だになぜ、一発打ち込んだ後に少し時間を空け、さらに4、5発打ち込んだのか謎です。

ムルソーは自分にあまり興味がなく、また他人にもそれほど興味がないように思います。
周りの体裁を気にするよりも、自分の本能で生きている、といったほうが適切かもしれませんが、母が亡くなっても涙を流さないところは少し人間味が欠如しているような印象を持ちました。

また、もともとアラビア人殺害の罪で告訴されたにもかかわらず、なぜか母親の死にたいするムルソーの態度が裁判上の論点になってきているかのような話の展開にも関心しました。
物語には敬虔な検事や神父が登場するのですが、彼らが頑なに信じていること、それは神だったりするのですが、ムルソーは死刑宣告後も神を全く信じません。ムルソーは何に救いを求めるのか、そもそも誰かに救いを求めること自体、ムルソーの頭のなかにはなかったのかもしれません。

この世に絶対的なものは存在しない、そんなメッセージが物語全体をとおして感じられた一冊でした。
白井浩司さんの解説も、読み応えがありました。
もう一度はじめからじっくり読みたい一冊です。

2015年4月22日水曜日

夏の色を探しに -(ペンネーム未定)

みなさんこんにちは。
今年から、「夏の色を探しに」という(あるアーティストの楽曲のタイトルでもありますが)タイトルで小説を買ってながら連載しています。
今日はその続きを載せます。


3.深海

 3月31日で仕事を終えた私は今日で仕事が終わりという実感が全くなかった。明日になればまた、なんとなく出勤する感覚であり、上司や先輩達とあたりまえのように顔をあわせるのだという気持ちでいた。「おはようございます。」別段明るく元気な声を出して出勤するわけでもない、これまで当たり前のような朝がもう来ないなんて想像することができないのだ。仕事納めの翌日、お世話になった方々に挨拶をするため会社に向かい、駐車場から会社のドアへ向かう途中、もしかしたら会社へ向かう車内でだったかもしれないが、そこではじめて、もう出勤しないこと、会社の一員ではないことを実感する。とても寂しい感覚がじわじわと沁みてくるけれど、不安ということはなく違和感といったほうがしっくりくる。これまで普通だった「おはようございます」と今日の「おはようございます」は全く違う。「おはようございます」が、別れの挨拶のように感じる。私がそう言い放つのを聞き、それを意識しいているのはどれくらいいるだろうか。少し周りを気にしながら、より一層、手帳カバーをいただいたAB型の先輩に意識が向かう。これからはもう、仕事の関係で連絡を取ったり冗談を言ったり、おちょくられたりすることはなくなるのか、そう思うと少し寂しくなる。先輩はどうだろう、同じように寂しい気持ちでいてくれているだろうか。私より数十年と社会経験を経ているから別れは幾度と経験しているだろうから、もう慣れっこかもしれないと考える私はやっぱりひねくれている。長居は無用と決めていたので、一通り挨拶を終え、AB型の先輩へ近づき様子を伺った。パソコンに向かっていたが私の気配を察したのか、席を立ち微笑で話しかけてきてくれる、とても気の利く先輩だ。あたなはやはり、優しくて我儘で、ちゃんとしています。貴方の元でいろんなことを教わりました。時に厳しく、時に優しくしてくれた、指導もきちんとしてくれた、貴方の指導は愛がありました。ありがとうございます。とても感謝しています。また何処かで、もう会うことはないかもしれないけれど、お元気で、貴方の悩ましげな表情ではなく、満面の笑みがもっと見たかったです。そんな数ある言いたいことを胸にしまいこみ、何気ないやりとりをした後、会社を後にする。外は風が強く少し湿っている。季節は春、今日は天気が良く、雲は空に2割程度。確か空に3割までなら晴れだったかな、と考える。そう、今日の天気は晴れ。もうここに帰ってくることは二度とないのかもしれない。人の出会いは一期一会だ。出会った全ての人を私は愛でているけれど、当人は私を毛嫌いしているかもしれない。そう考えると縁あって出会った人と一旦離れてしまうと再会が難しくなる。たとえそれがとても会いたい人だったとしても、「あの人は今どうしているだろう、元気でやっているだろうか」と考えるだけで実際自分がその人の人生に入り込むことは決してしない。


4.ラジオ

 夜になるといつもの習慣がはじまる。私は平日の夜、ラジオを聴く時間がとても好きだ。ひとり誰にも邪魔されず部屋の中でコンポーネントのスピーカーから流れ出るラジオパーソナリティーの声、合間に流れる音楽、CM、内容はどうあれ、音を聴くという受動的な営みが好きだ。そう、受動的な営み、ということに関して夜は特に受動的になる。朝起きて1日を過ごした疲れがそうさせるのか、または私の内向的な性格がそうさせるのか知らないが、何か作業をしながらでもラジオをつけ、なんとなく耳にするのが思春期からの習慣だ。この世の中には実に多種多様な人間がいる。今私がベッドに横になりラジオを聴いているこの時間、働いている人がいる、友達や恋人に電話をしている人、出産している人だっているだろう。そう考えると世の中というのはなんと不思議なものか、そういった全てのことが地球を動かしているのだ−ラジオを聴いて物思いにふけっていると訳のわからないことを考えてしまう。そんなことを考えていると24:00の時報を告げる音が流れた。ジェットストリーム、ジェットストリーム、ジェットストリーム・・・番組名とゆったりとしたチェロの音色が心地よい。ああ、今日も終わった、ふう。いつもとなんら変わらない明日が、私の目覚めを待っている。いざ行こう、そんな明日へ。ジェットストリームはいつも変わらず放送中だ。


2015年4月8日水曜日

不良少年とキリスト - 坂口安吾

みなさんこんにちは。
今日は青空文庫から、『不良少年とキリスト』を読みました。

太宰治と芥川龍之介がなぜ自殺したのか、という疑問に坂口安吾の視点から答えてくれます。
二人の文豪にたいする弔いの作品なのかな?とも思ったのですがその理由は、読んでいて彼ら二人が生きていたらどんな作品を次々書いただろう、という坂口安吾の残念がる気持ちが伝わってきたからです。


二日酔いは魔術。
二日酔いを「フツカヨイ」とカナ書きで書いているため、強い印象を得ました。

歯痛の話しから一転、太宰の話に軸を写し、最後は原爆や学問といったスケールの大きな話になり、歯痛の話はいずこへと疑問に思いました。

明治時代の文学って、なんか面白いと思うのは、そういう文学を面白いと思う自分に酔っているからだろうか。

また他にも青空文庫で読んでみることにしたいです。

今は文庫本で『凍りのくじら』という本を読んでいるのですが、なかなか良いです。

夏の色を探しに - (ペンネーム未定)

⒈ 林檎マーク

いったいどうしてこんなことになったのだろう。
毎日毎日同じことを繰り返す。
そんな人生になんの意味があるのだろう、嗚呼、特別な能力もない人間は何を
糧に生きていけばいいのか。
メロンパンナちゃんのお姉さんはロールパンナ、それは幼稚園や小学校に通う
子供達なら熱烈に記憶しているかもしれないが、4年生大学を卒業して人生の
意味を考えている青年、もう四捨五入すると30のおじさんは忘れかけている
事項だった。
人生に意味なんてない、人生の意味を探求することができるのは人間の特権で
あり、贅沢な悩みだとカーネギーは言っているが、そんな慰めは僕には通用し
ない。一瞬気持ちが楽になるけれど、時が経てばすぐに人生の意味つまり生き
ることの意味のような哲学的なことを考え出してしまう。
それはきっと、今の僕にはそれを考えることができる時間があるからなんだと
思うし、時々こんな時間があって自分は贅沢なんだろうとも思う。
忙しくしていればそんなことを考える以前に、解決すべき問題が山積みなのだ
ろう。嗚呼、社会人はとても大変だし、とても偉くてすごくてカッコ良い。
僕は出来る社会人をとても尊敬している。僕には到底真似することができない
ことを彼彼女らは行っている。かといって、ああいうふうに成りたいと思うこ
ともあまりない。俺って、人生に冷めてるのかなあ。



2.茶色い手帳カバー

「ねえ、海外に行っても、私たちのこと忘れないでね。」
そう微笑んで先輩はプレゼントを僕にくれた。先輩は今年40になった人妻で
ありAB型、本音がどこにあるのか全くわからない女性である。40特有のフェ
ロモンを出しており、時々表情に浮かべる悩ましげな表情が僕は好きだが、性
格的相性は、プライベートでは知らないが仕事上では全く合わないであろう先
輩である。血液型性格判断なんてあてにならない、そんなの日本だけだよ、と
いう声を耳にしたことがあるだろうが、僕は血液型性格判断について肯定的で
ある。AB型、それだけでどういうわけか少しレベルが上なように錯覚してしま
う。本来、人間の性質というものは血液型によらず遺伝子や経験に伴ってきま
るものだろう。私の思い込みというものが大部分を占めていること間違いない
のだが。先輩もAB型なのである。
プレゼントの包みを紐解くと、革製の手帳カバーとノートだった。スベスベし
た肌触りで茶色い手帳入れだ。うむ、さすが、良いセンスをしているなあ、と
しみじみ関心し嬉しくなってしまう。僕は先輩と一緒にいた時間、一体何を彼
女に与えることができただろう。いやいやそんな、まだまだ新米の社会人が、
先輩になにかしてあげるだなんて言っちゃいけないと自分を正当化している自
分が情けない。そういうところが、捻くれ坊主なのだろう。そう、僕は、とて
も捻くれているのかもしれない。




次回に続く

2015年4月5日日曜日

オバマケアについて Podcast「ラジオ版学問のすすめ」を聞いて

みなさんこんにちは。 
3月も去り4月になりました。出会いと別れの季節が長く続いていますがどうお過ごしでしょうか。 

今日は本ではなく、Podcastで配信中の「学問のすすめ」で配信されていたジャーナリストの堤未果さんの回に衝撃を受けたのでまとめたいと思います。 

はじめに、どのような回だったかをっくり述べると、44アメリカ大統領バラクオバマ大統領の看板製作の一つだった「オバマケア」の実態についてです 
アメリカ合衆国では格差が大きく広がっており、約1パーセントの富裕層が富を独占している状態であり、以前まで実質的にそんざいしていた中間層も貧困層に吸収されてきているということでした。 

それは日本にも当てはまることではないでしょうか。話は本題に 
オバマケアの前と後ではどう社会が変化したのか。 
堤さんが透き通るはっきりした声で説明していきます。 

まずオバマケアとは、国民全員が保険に入ることを義務付けする政策であるようです。 
その点だけを見れば、日本の国民皆保険制度と同じではないかと思うのですが、オバマケアの政策と比べると日本の皆保険制度がとても恵まれていることがわかります。

アメリカは保険がとても高いために、オバマケアの実施後、元々高額だった保険の価格が2倍になってしまった。語り手の堤さんの知人のケースでは、本人と奥さん、お子さんを入れると8万円だった保険料は日本円で16万円に。 

皆保険制度にしたため、保険をやめると罰金が出る事態になったそうです。1年目に発生する罰金として、1万円と年度の所得の1%を比べて高い方が罰金として課されるんだそうです。

2年目はその掛け率が高くなり、3年目には8%になるらしい。 

最悪の場合、保険にも入れず、かつ罰金が課せられてしまう状態である。 

そんななか、保険会社の利益は上がっており、株価も上昇しているとのこと。 
それはなぜかというと、オバマケアに関する法律を作った人は製薬会社の上層部であることが原因の一つであるとのこと。
法律を制定する際に、有識者会議という会議が存在しており、その有識者会議には回転ドアという概念が存在しており、有識者会議に出入りするメンバーの回転率はとても早いらしい。 
有識者会議には頻繁に製薬会社の上層部が出入りしており、発言権が高いようです。

この有識者会議、第三者の監視が届きにくいようです。

こんかいのポッドキャスト配信を聞いて、本来、低所得層の引き上げを意図すべきであるオバマケアのベクトルは、本来の方向とは全く逆に向かっている印象を受けました。 
PPTで保険の関税撤廃が実現すれば、日本もターゲットになりうるんだそうです。 


自分でちゃんと社会で何が起きているのかを知ろうとすることが大事であるということが大切だと感じましたジャーナリストらしい話の内容だと思いました。 

もう少し、このことについて勉強していけたらいいなと思います。