2016年3月17日木曜日

思考について

みなさんこんにちは。
今日は、ショーペンハウアーの『読書について』を読み始めてから思ったことを含めて、思考についてというテーマでエッセイを書きました。





この世には、二種類の人間がいると思う。自分の頭で考える人と、そうでない人だ。

自分で考える人は、あれこれと考えを巡らせ、次に何をするべきか指図されずとも自ずと進むべき道を見出す。その道は正しい道かどうか定かではないが、論理的に自分の頭で導き出した道であれば、その道を行くにはそれほど不安を覚えないだろう。

自分で考える人は、信念や自信というような、自分はこの世の中の一員だと信じて疑わない思いを持っているように思う。他者とも対等に話し、礼儀をわきまえ、見ていて清々しい気持ちにさせてくれる。自分の考えに迷いや躊躇いがないため、その力溢れる思考が精神の外、すなわち行動として精神の外に出た時、その行動は輝いて見える。
自分の考えをしっかり持っている人は、周囲に流されにくいと思う。
そう思う根拠は、科学的根拠とは言えないが、私は自分の頭で考えることが得意ではなく、周囲の意見にすぐ流されてしまうからである。

自分を反面教師にして、二種類の人間像について語っているわけである。
自分のことについて、事例を出すとしよう。

たとえば数学の参考書を読んでいるとしよう。テーマはユークリッド幾何学であり、「ある2つの三角形が相似であることを証明しなさい」という問題が出たとき、自分の頭で考える人とそうでない人とでは、両者のとる行動は全く別のものになるであろう。
自分の頭で考えない私の場合、少し図形を眺めて、お手上げだと思った数秒後には巻末の解答例を見てしまう。しかし、論理的思考力があり、自分の頭で考える人は、巻末の解答例など意に介さず、自分で答えを導き出すに違いない。たとえ導き出した証明方法が解答例のそれとは異なっても、自ら出した証明方に誇りを持つであろう。

このことは、ショーペンハウアーが『読書について』で書いていることに少し似ていると思う。彼は、本を読むことは、自分で考えることをせず、他人に(この場合は本の著者)思考を任せていることに他ならないと述べている。巻末の解答例、それは他者が考案した解答であり、自ら考え抜いた代物ではない。

自分の頭で考えることについて考えてみると、現代社会には、自分で思考しなくても生きていける要素が多分あるように思う。テレビやラジオ、スマートフォンの普及によって、誰でもインターネットに24時間アクセスすることができる時代になっている。これらを私たちはメディアと呼んでいるが、メディアからは他者による思考が溢れかえっている。
メディアという概念がなかった時代を想像してみた。テレビがなかった時代、人々は仕事を終えて何をしていたのだろう。仲間たちと語らっていたのか?夜空にきらめく星々を眺め、あの星々は地球の周りを回っているのか、違うのかなど議論したりしていたのか?そうだ、現代社会に生きる私たちよりはずっと、何かを自分の頭で考える時間があったに違いない。

私は本日より、できるだけ自分の頭で考える時間を多く持ちたいと考えている。自分の人生、自分の頭で考えて決断を下し、決めて行動したことについてきちんと責任を取れるような人でありたいし、自信のある行動をしたい。

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