2016年12月3日土曜日

陽気な日 (自作小説) 夜

みなさんこんにちは。
陽気な日、を一年と一ヶ月ぶりに更新します(笑)。





アーターモン駅のすぐ近くに彼女の働いている仕事場があるので、パン屋さんから道路を挟んだ向こう側にある駅へと足を進ませながら、フェイスブックに備わっているメッセージ機能を使って「今から行くよ」と返信を打った。
駅に着いてから、「着いたよ」とメッセージを送った2分後くらいに彼女は「おまたせ」と、小走りに近づいてくる様子がとても微笑ましい。日々の生活の中のこういう風景が、私を癒し、和やかな気持ちにしてくれる。こういうシーンでは、私を優しい風が包み込んでくれているのを感じる。生活していると、嫌なことや耐え難いことが時々私に向かってきて、容赦なく私に打撃を与えて去っていくけれど、まさに今私は優しい風によって修復されているのである。ありがとう彼女よ。
少しアーターモンの周辺を散歩して、私たちは自らの帰る場所へ向かった。彼女は近くのシェアハウスへ、私はシティのシェアフラットだ。彼女の部屋は一人部屋なので、それが羨ましく思いながら帰りのバス内で過ごした。私が住んでいるシェアフラットというのは、キッチンやお風呂を共同で使用する点はシェアハウスと一緒なのだが、一つの部屋に数名寝床を共にしているという点で異なる。シェアハウスの場合も一部屋に数名住んでいるハウスもあるだろうが、私が契約した部屋はというと、一つの、それも5畳ほどのスペースに、二段ベッドを二つ設置し、3名が部屋を共にしていた。ちなみに今、同じ部屋には香港人二人、そして私の計3名が住んでいる。しかし、実質4人も同然だ。なぜなら、風呂場近くの部屋に台湾人の女の子が住んでおり、その娘と香港人が一緒に寝始めたのだから。それも私の隣でである。はじめはかなり違和感を覚えたが、1週間もしないうちに慣れてしまった。香港人はアレックスというのだが、少し気をきかせてくれたのか、しばらくたつと、彼らは二段ベッドにカーテンのようなものを付け、二人だけの空間を作り上げてしまったのだ。それからというもの、深夜になると、彼らがスキンシップをとる音に私は悩まされることになるのだが、それも1週間すると慣れてしまった。よく考えてみれば、彼らは私に気を使ってなどなかったのかもしれない、きっとそうだ。気を使っていればはじめから私のいる隣でいい年頃の男女二人が共に寝床を共にする訳があるまい。私の常識ではそういう思考が働くのだが、ここは海外、日本の常識など通用しないのである。このようなことが、とても新鮮で、なんだか愉快だった。
仕事の都合上、明日も早く起きなければならない。フラットメイトに「おやすみ」を言い、私は自分のベッドに倒れこんだ。日本に住んでいた時よりも確実に、「生きている」気になりながら、私は就寝した。







2016年3月17日木曜日

思考について

みなさんこんにちは。
今日は、ショーペンハウアーの『読書について』を読み始めてから思ったことを含めて、思考についてというテーマでエッセイを書きました。





この世には、二種類の人間がいると思う。自分の頭で考える人と、そうでない人だ。

自分で考える人は、あれこれと考えを巡らせ、次に何をするべきか指図されずとも自ずと進むべき道を見出す。その道は正しい道かどうか定かではないが、論理的に自分の頭で導き出した道であれば、その道を行くにはそれほど不安を覚えないだろう。

自分で考える人は、信念や自信というような、自分はこの世の中の一員だと信じて疑わない思いを持っているように思う。他者とも対等に話し、礼儀をわきまえ、見ていて清々しい気持ちにさせてくれる。自分の考えに迷いや躊躇いがないため、その力溢れる思考が精神の外、すなわち行動として精神の外に出た時、その行動は輝いて見える。
自分の考えをしっかり持っている人は、周囲に流されにくいと思う。
そう思う根拠は、科学的根拠とは言えないが、私は自分の頭で考えることが得意ではなく、周囲の意見にすぐ流されてしまうからである。

自分を反面教師にして、二種類の人間像について語っているわけである。
自分のことについて、事例を出すとしよう。

たとえば数学の参考書を読んでいるとしよう。テーマはユークリッド幾何学であり、「ある2つの三角形が相似であることを証明しなさい」という問題が出たとき、自分の頭で考える人とそうでない人とでは、両者のとる行動は全く別のものになるであろう。
自分の頭で考えない私の場合、少し図形を眺めて、お手上げだと思った数秒後には巻末の解答例を見てしまう。しかし、論理的思考力があり、自分の頭で考える人は、巻末の解答例など意に介さず、自分で答えを導き出すに違いない。たとえ導き出した証明方法が解答例のそれとは異なっても、自ら出した証明方に誇りを持つであろう。

このことは、ショーペンハウアーが『読書について』で書いていることに少し似ていると思う。彼は、本を読むことは、自分で考えることをせず、他人に(この場合は本の著者)思考を任せていることに他ならないと述べている。巻末の解答例、それは他者が考案した解答であり、自ら考え抜いた代物ではない。

自分の頭で考えることについて考えてみると、現代社会には、自分で思考しなくても生きていける要素が多分あるように思う。テレビやラジオ、スマートフォンの普及によって、誰でもインターネットに24時間アクセスすることができる時代になっている。これらを私たちはメディアと呼んでいるが、メディアからは他者による思考が溢れかえっている。
メディアという概念がなかった時代を想像してみた。テレビがなかった時代、人々は仕事を終えて何をしていたのだろう。仲間たちと語らっていたのか?夜空にきらめく星々を眺め、あの星々は地球の周りを回っているのか、違うのかなど議論したりしていたのか?そうだ、現代社会に生きる私たちよりはずっと、何かを自分の頭で考える時間があったに違いない。

私は本日より、できるだけ自分の頭で考える時間を多く持ちたいと考えている。自分の人生、自分の頭で考えて決断を下し、決めて行動したことについてきちんと責任を取れるような人でありたいし、自信のある行動をしたい。

2016年3月13日日曜日

私の仕事観

みなさんこんにちは。
オーストラリアから帰ってきて、家でごろごろしている休暇に飽きてきたので、仕事するってなんだろう、というテーマでエッセイを書いてみました。






私は何かと地に足が着いていないように思われる。
それは、自他共に認めているようである。
働くこととは一体どういうことなのかということについて、この機会に考えてみようと思う。
ひとは生きていくために栄養のあるものを食べなければならない。
衣食住、それは人間が生きていくために必要なものである。
衣食住を整えるためには、お金が要る。
お金を稼ぐためには、労働の対価としてお金を得る必要がある。
または、お金を得る手段として、自分で価値のあるものを生み出し、その対価としてお金を得る方法もあるだろう。
思うに、自分で何かを始める場合、初期投資が必要だったり、厳密に練った計画案が必要だったりするかもしれない。
そういうことが私には億劫に思うし、もともと貯金が少ない私にはできないというか、してみたいけど今はできないと言った方が適切のように思う。

よく、「好きなことを仕事にしなさい」とか、「人生好きなことをして生きていけると幸せだ」と私の周りの年長者たちが口にするのを聞く。
また一方で、「好きなことは趣味でよいから、福利厚生や給料のよい正社員、公務員などになりなさい」という大人も多い。
不景気と言われて久しいこの御時世なので、そういう大人たちの言い分も理解できる。
私にとってどちらが良いのか考えてみても、好きなことを仕事にするには結構なお金が必要そうなので、好きでもないことをしてお金を稼ぐ方が、生活していくには手っ取り早い気がして、結果的にまずはなんでも良いから働いてみよう、という気持ちになってくるのである。
とりあえず働いて、余暇で好きなことをして、その好きなことで少しづつお金を得ることができたら良いな、みたいな気持ちが私の中にはある。
私の好きなこと、とは、音楽であり、読書であり、たまにこうやって文章を書いたりもするのだが、文章に至っては、一つの小説を完成させたこともない程度である。
プログラミングにも興味があるので、後々はDTM(
Desktop Music)の腕を磨いて作曲して、自分でホームページを作って音源を売り出してみようかな、なんて妄想したりもする。

仕事はなんだかんだ言って、面白いものだと思う。仕事を通して人との良い出会いもあれば、嫌いで苦手な人と出会うこともあるだろう。仕事で出会った嫌いで苦手な人は、もし違う場所で会っていたら、仲良くなっていることだってある気がする。
責任あるポジションに任命されてしまった暁には、メンツやプライド、プレッシャーというストレスフルなことが体に悪影響を及ぼす時もあるだろう。
あるプロジェクトのリーダーになったり、大きな取引を任されたり。
そんな役職に就いている人たちを、私は尊敬するし、いつか挑戦してみたいとも思っている。

今の若者に、「将来は社長になりたいか」と質問すると、「そんなになりたいとは思わない」と回答する人が多いということを友人が言っていた。
どうしてだろう。日本が不景気だからか?いや、この質問は日本の社長だけに限定されているのか?社長は大変そうなイメージなのか?根拠のある答えは出てきそうにない。

2015年10月31日土曜日

陽気な日 (自作小説) 昼2


みなさんこんにちは。
今日は土曜日で仕事がお休みなので、前回の続きを書いていこうと思います。



昼2


この出店では、ドライフルーツを売るらしく、ディスプレイには多くのドライフルーツが所狭しと並べてある。せっせと準備をする若いお兄さんを見て、「頑張ってるなあ」と思った。

小一時間近くのショッピングセンターで時間を潰した。大きなショッピングモールで、衣食住に必要なものなら全てそろえることができそうなショッピングセンターである。世の中物質的には豊かになったと思うが、消費をとおして感じることのできる幸福感には限りがあるという。
経済指標、株価、成長率を土台にした資本社会で何を幸せの基準にするのか問われたとき、消費という答えが返ってくるのはある意味、必然的なものなのかもしれない。

大型テレビ、高級セダン、高級セダンといえば、ショッピングモールの広場で高級車が2台並んで展示されていた。一体どこから店内に入れたのだろうと訝しく思い、あれほど高級ではなくとも、一度はスポーツカー、今だったらモデルチェンジしたTOYOTA86に乗ってみたいなあとも思った。展示されている高級車の脇をとおり、さきほどの出店がある通りへ戻ってみると、各店舗準備が終わったらしく、ざっと数えて10店舗ほどの出店が軒を連ねていた。

目についたのはスペインのパエリア料理、サトウキビから絞った搾りたて果汁100パーセントジュース、揚げたてチュロス屋さんや中華料理のテイクアウェイができるお店などで、国際色豊かである。

彼女と合流したら、何か買って一緒に食べようかな、と勝手に予定を立て、そろそろ彼女の仕事場の最寄り駅まで行くことにした。
チャッツウッドから一つ離れたアーターモン駅に着き、メッセンジャーで駅に着いたことを告げるメッセージを書いた。彼女に会うためには、シティからチャッツウッドか、今いるアーターモン駅まで来なければならない。彼女が私の住んでいるシティまで来てくれることもある。同棲していないため、時間をかけてお互いのいる場所まで足を運ぶ必要があった。同棲するかと尋ねたこともあったが、今のオウンルームが快適だということで、今以上の条件がそろわなければ引っ越したくないと言われていた。そんな我儘は、一緒に住むことができれば多少快適さが劣るとしても、妥協できるのではないかと心の中で思ったが、先日彼女の住むオウンルームを訪ねて実際過ごしてみると、彼女の言い分が少しわかったような気がした。

シドニーの不動産事情はというと、一年で不動産価格が10パーセントずつ上昇しているらしい。家を買うことができるのは、よほどのお金持ちということだ。賃貸契約においても、家賃は高く、私が住んでいるシティ内のシェアルームでも、1週間$130、つまり一か月4週間で考えると、$520もかかるのである。郊外では少し安くなり、自分の部屋を持つことができるオウンルームの契約でも、彼女の場合は1週間$165という破格の値段で賃貸していた。それに加えて、閑静な住宅街に位置しているため、周りは静かで治安も良い場所であり、条件も良かった。。
インターネットでカップル可能な物件を数週間探してみたものの、なかなか良い条件の物件がみつからず、半ばあきらめかけている。

アーターモン駅はまさに郊外、というような感じの駅だと思う。駅を出てすぐのところに、パン屋さんがあり、そこの店員の愛想がよく、気に入っている。メッセージの返信があるまで、このパン屋さんでブルーベリースコーンを買って食べながら待っていようと思い、店内へ入った。「なににしますか?」的なことをまさにネイティブのオーストラリアンに聞かれる。オーストラリアンのことをオージーというらしい。その事実を知ったのは、ここ最近のことである。このパン屋さんの店員は、おそらく、高校生くらいの地元の女の子、といった感じである。

にこやかな少女の対応に、おのずと私も顔の緊張がとれ、にこやかになる。「ブルーベリースコーンをお願いします。」と答え、望みの商品を注文した。5、6歳は年下だと思われる少女のほうが私よりもきっと人付き合いが上手だろうなと、思う。自然な笑顔、友好的な態度、どれも私の苦手とするものである。見知らぬ人、親しくしている人の前でさえ、なかなか自分の感情を素直に表現することが不得意なところが私にはある。なので、パン屋の少女のように無垢な笑顔を向けられると、安心感というかハニカミが生まれ、心地よくなるのだ。この心地よさが、このパン屋を好きになった理由なのかもしれない。


スコーンを買い店を出て、食べようと包みから出そうとしていると、彼女からの返信が届いた。「暇すぎて、もう帰れることになった」との内容である。そうか、そんなに暇なのか、と半ば感心し、スコーンがお預けになった口惜しさと、一日の残りを彼女と一緒に過ごすことができる嬉しさを感じ、彼女の待つ場所へと急いだ。

2015年10月25日日曜日

貯金兄弟 竹内謙礼 , 青木 寿幸

みなさんこんにちは。
今日は『貯金兄弟』を読んだので、感想を書きます。

人生におけるお金に対する身の振り方を、考え方の違う兄弟2人を通して疑似体験する事ができるストーリーです。
知識的な内容だけでなく、ストーリーも面白く、弟である翔太の不思議な能力が重要な要素になり、ストーリーが進んでいきます。

中間くらいまで読んでいると、「あ、貯金しないとマズイな」とか、「貯金したいなあ」と貯金がしたくなる思考へと誘うような内容でした。
消費者金融から借りて、返済に困ったり、金使いの荒い兄を見ていると、貯金にたいする正義の意識が芽生えてきました。

しかし最後まで読み終えると、結局、貯金ばかりしていても、駄目なのかもしれない、ある程度のバランスを考えてお金と付き合うべきなのかも、という自分なりに解釈しました。

お金のことを心配しないで生活できれば、それにこしたことはないと思いますが、世の中そのような人は割合的にわずかでしょう。
ある程度の貯金を行いつつ、消費するところは消費する。
そんな感じで貯金を以前よりも意識して行いたいなと思わせてくれた一冊でした。
弟の翔太が教えてくれた貯金術など、早速実践したいです。



2015年10月18日日曜日

陽気な日 昼 (自作小説)

みなさんこんにちは。
今日も自作小説、小説というかエッセイのような感じになっていますが、書いていこうと思います。
余談ですが、MacBook Airを使用して書いているのですが、os x el capitanにアップデートしたためか、勝手に漢字に変換する機能が追加されたのか定かではありませんが、この機能のおかげでタイピング速度が速くなったような気がしました。
el capitanについても別のブログでまとめられたらなあと思っています。




私がチャッツウッドに向かうのにはいくつか理由があるのだが、まず彼女に会いに行くためである。同棲していないため、少しの時間でも会いたいという気持ちが働き、彼女の仕事の空き時間や、仕事が終わる夜遅くにも頻繁にチャッツウッドに通うことが多くなっていた。

シティからチャッツウッドまで、ウィンヤード駅から約25分、普通列車だと最大でも30〜35分程度で行くことができる。

ぽかぽかした土曜日ということもあり、6月7月に比べて人通りが多くなっていることに気づく。ほとんどの通行人がサングラスをかけ、男性は半袖に短パン、ある女性はノースリーブを身につけ胸元を大胆に開けている人も見られる。
日本に比べて、肌の露出が多いな、と少し気に留めながら歩いてウィンヤード駅へ向かった。

電車に乗り込むと、心地よい空調の冷気が皮膚に触れる。座席を探し、丁度良さそうな席へ腰掛け、スマートフォンを眺めた。

メールが数件、ほとんどが登録してあるサイトの通知だったり、フェイスブックの投稿である。ミートアップへ参加するかどうかを確認する出欠確認のメールが少し気になったが、とりあえず削除はせずに残しておくことにした。

2週間前に参加したミートアップと同じものであり、この間参加した時はベトナム人や韓国人、インド人といった他国の人たちと、お酒を飲みながら英語で交流することができた。

その中にはテンションの高い韓国人女性がおり、あまりハイテンションになることがない私は、新鮮で多少楽しい時間を過ごすことができたので、気が向いたら再度参加してみようと思っている。

必要のないメールを削除し終わった頃、窓の外を眺めると、ハーバーブリッジを通過するところだった。空にはポツリ、ポツリと雲がふわりと浮いている。上空には青い空、橋の下には青い海、青い色は好きである。オペラハウスは見えないかと、探してみたが、一般車両が通行する一般道に隠れて見ることができなかった。まあ、そんなにうまく見えないよな、と思いながら、再びスマートフォンに意識を向ける。

世の中便利になったものだ。何冊も本をカバンの中に入れて持ち運ばなくても、スマホ一台あれば、読むことができる。
紙媒体の方がしっくりくる、という人もいるが、場所を問わずに好きな書物を読むことができることは素晴らしいことであると思う。

数字の0と1の世界、コンピューターの世界をもっと知りたいと最近考える。パソコンは、2進法しか理解できないらしい。その理由など、何かのサイトで見たが、忘れてしまっていた。人間の脳は、何かと忘れっぽいようだ。
長期記憶にするためには、人に説明出来るくらいにならなければいけないらしい。

いろんな本を読んできたが、読んだもの全てを説明出来るほど私の頭は高性能ではないようだ。
ハーバーブリッジを通過し、3駅ほど郊外の駅を通り、いよいよチャッツウッドへ到着した。

電車を降り、エスカレーターで階下に向かい、改札をくぐる。改札の向こうにはMcDonald’sやブレッドトップ、寿司屋などの店舗が並んでいる。アジア人が多く、シティと比べると清潔感のある町である。お腹がなり、空腹を覚えたので、ブレッドトップでパンを3つほど買った。

「さて、彼女の昼休みまで何をして過ごそうか…。」と考え、いつものように、良さそうなカフェで時間を過ごすことにした。
ブレッドトップのある通りから、大きなショッピングモールのあるストリートへ向かう。ビクトリアアベニューは両脇にカフェやデザートショップなどが並ぶストリートで、中央にはベンチやちょっとしたスペースがあり、時々各国の出店が出店することもある、素敵なストリートである。

今日も出店があるらしく、中東っぽい出で立ちをした男性が、テントの準備をしていた。


<つづく>

2015年10月6日火曜日

僕だけがいない街 <1巻>

みなさんこんにちは。

久しぶりに漫画を読んでみました。
全六巻のうち、1巻目をAmazonのKindleで購入し、読みましたので感想など書いていこうと思います。

ほんわかした感じの表紙とは裏腹に、内容はミステリアスで、主人公(悟:さとる)は時間を過去に遡るという不思議な現象を体験します。
時間を過去に遡る現象はリバイバルと呼ばれ、主人公の意思とは関係なく発動し、なんらかの「違和感」を見つけることができれば、もしくは未来に起きる負の出来事を回避することができれば、リバイバルはおさまります。
このあたりのことは、ネタバレになりそうなので、割愛しますが、読んでいけばわかると思います。

私が特に引き込まれた点は、主人公の悟が自分のことを「何もない人」と考えている点や、漫画を描きつつバイトをしたり、女子高生から尊敬されていたり、「何もない」と考えている割には一応、作家としてデビューしていたり、決してイケイケではないけれど、夢を追いかけて漫画を描いていたり(一巻である現時点では)、過去に明らかになっていない影があったりと、次巻を読みたくなる要素が多くちりばめられていると感じました。

巻末の終わり方も、多少ストーリーの流れを推測できるものの、これからどうなっていくのかわからない点も、読者を引き込む要素ではないかと思いました。

次巻も近いうち、購入しようと考えています。
ちなみに、以下のサイトで1話部分のみ読むことができるようです。

リンク:コミックウォーカー






追伸:先週の土曜日から今日まで、シドニーはとても暑い日が続いています。明日は少し和らぐようですが、配達をしている私にとっては日差しが強烈で少し苦戦気味です。スイカバーが食べたいです。